『〈叱る依存〉がとまらない』
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ISBN:B09RQFJ9HS
【精神科医・松本俊彦氏 推薦!】
(『誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論』著者)
「殴ってもわからない奴はもっと強く殴ればよい?――まさか。
それは叱る側が抱える心の病、〈叱る依存〉だ。
なぜ厳罰政策が再犯率を高めるのか、なぜ『ダメ。ゼッタイ。』がダメなのか、
本書を読めばその理由がよくわかる」
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叱らずにいられないのにはわけがある。
「叱る」には依存性があり、エスカレートしていく――その理由は、脳の「報酬系回路」にあった!
児童虐待、体罰、DV、パワハラ、理不尽な校則、加熱するバッシング報道……。
人は「叱りたい」欲求とどう向き合えばいいのか?
子ども、生徒、部下など、誰かを育てる立場にいる人は必読!
つい叱っては反省し、でもまた叱ってしまうと悩む、あなたへの処方箋。
叱るを避けた方がいい理由は単純に効果がないし、副作用が大きいから
叱るのは権力を持っている人
叱るのは権力の行使である
何を叱るべきかは常に叱る側が決まる
叱るの定義
叱るとはネガティブな感情体験のこと
言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖、不安、苦痛、悲しみなど)を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールする行為
叱るが叱るなのは判断するのは受け手側である。
叱ることは脳に報酬がある
誰かを罰することで脳の報酬系回路(たとえば、ドーパミン)は活性化するという研究報告がある。 悪意ある処罰(Spiteful Punishment)
コミュニティのための処罰
利他的処罰(Altruistic Punishment)
苦痛の回避自体も報酬となりうる
叱るには依存症があるかも
叱る人も叱られる人も慣れる
自己治療仮説:人は無意識のうちに自分自身の苦痛を和らげてくれるものに依存するようになる
叱る人には苦しまないと人は変わらないという思い込みがある
本来しつけの本質は社会規範の獲得
叱ることによって「防御モード」を発生させては効果が小さい
マルトリートメント
不適切な養育(Maltreatment)
虐待より広い範囲の不適切な対応を指す言葉
身体的な暴力によるDVを目撃するより、言葉によるDVを目撃する方が脳へのダメージが大きい
叱る人には生存者バイアスがある
犯罪減少の効果がない厳罰化をしようとするのは処罰感情の充足欲求のため
利害関係のない傍観者の処罰感情を充足させるための厳罰化は避けなくてはいけない
学習性無力感は見た目上は我慢できるようになったように見えてしまう
厳しさとは叱ることではなく、妥協をしないことや要求水準が高いことである
誰かに罰を与えたい欲求は人間の生来的な欲求の一つである
自分に利害関係がなくても、報いを受けて当然の人には罰を与えたくなり、罰を与えると快を感じる
欲求には適切な充足方法がある
理性によるコントロールが必要
危機が去ったらできるだけすぐに叱り終える
上手に叱り終わる
「叱る」が役立つ状況や用途は限定的
目の前の困った状況への「危機介入」か、特定の行動をしないようにしてもらう「抑止」のみ
危機であるかは自傷他害を判断基準にする
叱るはあくまで対処療法なので、危機が去ったらできるだけすぐに叱り終える
叱る自分を叱る必要はない
徐々に手放していく
自傷他害が危機
抑止としての叱るは予防的に用いる
実際に叱ってしまうと相手は「防御モード」になってしまう
防御モードになると、言い争ったり、隠蔽しようとする
つまり、実際に叱らなくてはならない状況を招いてしまった時点で失敗
抑止としての叱るは特定の行動を避けるという意味の効果しかない