『言語化するための小説思考』
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小川哲
ISBN:B0FW3S33BX
その文章、「自分のため」に書いていませんか?
「伝える」ではない、「伝わる」言葉を、文章を生み出すために、小説家はいつも何を考えているのかーー?
『ゲームの王国』『地図と拳』『君のクイズ』『火星の女王』
祝デビュー10周年! 時代を席巻する直木賞作家・小川哲が、「執筆時の思考の過程(=企業秘密)」をおしみなく開陳!
どうやって自分の脳内にあるものを言語化するかを言語化した、目からウロコの思考術!
☆☆☆小説の改稿をめぐる短編「エデンの東」も収録☆☆☆
小説ーーそれは、作者と読者のコミュニケーション。
誰が読むのかを理解すること。相手があなたのことを知らないという前提に立つこと。
抽象化と個別化、情報の順番、「どこに連れていくか」を明らかにする……etc.
小説家が実践する、「技術」ではない、「考え方」の解体新書。
この本を読んだからといって、「小説の書き方」がわかるわけではない。小説家が小説について考えてきたことを人生にどう活かすか、あなた自身で見つけてくれれば言うことはない。ーー小川 哲
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#61.12_本
購入日:
読了日:2025/11/16
感想
読んでいる段階から面白い。
読書メモ
まえがき
小説に限らず、(他者に読まれることを前提として書かれた)あらゆる文章表現に共通しているのは、その文章に価値があるかどうかを決めるのが「他者」という点である。 p3
もともと「他者」と関わりたくないから小説を書いたのに、小説を書くためには「他者」のことを考えなければならない。 p4
本書を意地悪く説明するなら、「小説家」という「神話」と、「小説」という「奇跡」を徹底的に解体するものだ。 p7
1 小説国の法律について
非常に世評が高いけれど、どうも自分には合わない小説がある!読書を続けていれば、誰しも一度ならず経験したことがあると思う。そういうときは、自分の小説法と著者の(加えて、その著者のことが好きな読者の)小説法が違っていることが多い。世評が高い作品を楽しめないのであれば、おそらく自分の側に、あまり一般的ではない小説法が存在しているのだ。 15
2 小説の「勝利条件」
3 知らない世界の話について堂々と語る方法
抽象化して、個別化をする
どうして小説家である僕が門外漢であるベンチャー企業について洞察できるのかというと、抽象化と個別化を行っているからだ。 36
4 「文体」とは何か?
文体で重要な要素は「情報の順番」 p47
「読みやすさ」とは「視点人物と読者の情報量の差を最小化する」こと p50
とはいえ、「読みやすい」ことは「価値がある」ことと同義ではない。
「情報量の差」が生まれる文章はミステリ的な構造になっている。謎が解けた瞬間(「情報量の差」が埋まった瞬間)にカタルシスを生むことができるかどうか。
「情報量の差」を最小化する戦略はサスペンス的な構造を持っている。
文章は三次元の世界を一次元的なリニアな記号に置き換えたもの
現実世界の僕たちの認知と思弁はひどく主観的で、そのまま文字にしたところで「私」と読者の情報量の形離があまりにも大きく、とてもじゃないが読むに値するものにはならないだろう。そもそも文章は三次元の現実世界(と脳内の思弁)を一次元的なリニアな記号に置き換えたものであるので、情報の順番にはかならず恐意性が伴うものなのだが、その恣意性をどう扱うかという点に「文体」の根底が生まれるのではないか。 p50
5 君はどこから来たのか、君は何者か、君はどこへ行くのか
小説の「面白さ」が読者の中で生まれていく過程で発生する作者と読者の関係性の問題
新人賞の応募原稿を読むときに何より苦労するのは、「作者が描こうとしているもの」を把握することだ。選考委員である僕は、当然候補者のことも知らないし、どんな作家が好きで、小説をどういうものだと考えていて、どんな狙いで原稿を書いたのか、まったく知らない状態で原稿に向き合うことになる。この事実は当たり前のことのように思えて、実はまったく日常的な出来事ではない。 p59
文章には文脈というものがある。それぞれの文章は、前後の文章と(あるいは同一の作品と)繋がっており、文脈は文章から読み取れる内容以上の情報を与える。小説とは、いわば文脈をコントロールする技術でもある。だが、僕がここで問題にしたいのはテキスト化された「文脈」よりも根源的な話だ。まったく同じ「文脈」でも、「誰が」「どこで」「どのように」語っているかで、受けとることのできる情報の質が変わってくるのだ。 p60
本を読む前に読者が漠然と抱く期待感こそ「作家性」 p62
小説の「文脈」は、書かれたテクストにのみ内在するわけではない。 p66
6 小説はコミュニケーションである
小説家に必要とされる想像力とは「物語を創作するためのもの」と理解されがちだが、僕は「顔の見えない読者を想定するためのもの」という側面も大きいのではないかと思っている」(もしかしたら、後者の「想像力」の方が小説家にとって必要不可々な能力であるかもしれない)。小説家にはかなり特殊なコミュニケーション能力が必要とされているのだ。 p72, 73
7 伏線は存在しない
伏線という言葉は、定義が曖昧な以上、伏線という言葉を用いたコミュニケーションは頻繁に失敗する。
伏線には「後の展開を暗示する」という役割がある p79
伏線の定義は1つ、その後の展開を暗示する描写2つ、意外な展開に対する違和感を減らすための描写であるが、それは小説の骨格そのものがその2つであるため、伏線は存在しないと言っている
つまり、筆者は小説とは伏線そのものであると言っている
回収されない。伏線があってはいけないので、「伏線回収がすごい」という言葉に違和感を持っている。
コミュニケーションは、「象徴的で影響力の大きな出来事」という情報を交換することによって成立している p84
それは小説も同じ
小説である以上、小説の文章は文章が一義的に表現すること、以上の意味を持つ必要がある
ミステリー小説で犯人を当てるコツは、「今のところ何の暗示にもなっていない」文章に注目してみること p86
8 なぜ僕の友人は小説が書けないのか
9 アイデアの見つけ方
「分析」の質を上げるためには、実は「作品を発表する」ことが一番の近道 p105
アイデアは生み出すものではなく、見つけるもの p108
新しさとは「書いてしまったこと」から逆算的に見つける方が簡単だし、理にかなっている。 p108
10 小説ゾンビになってわかったこと
小説を探すためには、最初に捨てないといけないものがある。しかも、自分にとってもっとも大切で、あらゆる信念の基盤となるようなものだ。でも、小説を探す上で一番邪魔なものでもある「自分の価値観」だ。 116
自分の価値観」を捨てると世界がどう見えてくるか。実は、それほど大きな違いはない。僕が「自分の価値観」を捨てたところで、設定が奇抜なだけで中身のない、紋切り型の表現ばかりで構成されたペラペラの小説が売れていて、完全に新しくて、その人じゃないとできない本物の表現で最後までダレることなく走りきった傑作が全然売れてないことに変わりはない。ただ、大きく違うのは、「まったく一腹が立たない」というだけでなく、むしろ「めちゃくちゃ興奮する」という点にある。 p117
小説ゾンビにとって大切なのは、どの観点にも「自分の価値観」を加えないことだ。Aという小説が売れたら、あるいは世評が高かったりして、かつ自分にはどこが面白いのか理解できないのなら、Aという小説を支持する読者と自分の間に、何らかの価値観の相違が存在していることがわかる。小説ゾンビが本当に興奮するのはこの瞬間だしそこにはまだ、自分の知らない「小説」があるのではないか。 p118, 119
11 小説の見つけ方
答えのある問いは「小説」ではない p131
創作上の明確な理由がない限り、登場人物の性別は第一感で思いついた性別でないものにする p137
12 本気で小説を探しているか
これは文学に限った話ではないと思う。あらゆる表現活動は、「ある人間の認知」をなんらかの手段で圧縮したものだ。何を圧縮したか。そしてどう圧縮したか。その二つの質によって、表現の質が決まる。 143
自分のやり方とは「ある人間の認知」の圧縮の仕方である
題材やテーマ、アイデアで新しさや独自性を見つけることは難しいが、「複雑で豊かな認知をどうやって文章に圧縮するか」という点には、それぞれの作者にしかできないやり方が存在しているはずで、それこそが「作風」と呼ばれているのだと思う 144, 145
手がかりは、芸術という営為が「ある情報を他社に渡し、受け取った他者が自分の認知として展開することである」という点にある。p146
『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』を思い出す
あとがき
驚くべきことに、本の値段は製作コストによって、つまり紙の値段や製本費用などによって決まるのだ。そして、その値段に部数と印税の比率を掛け合わせたものが、著者の印税収入となる。あなたの人生を劇的に変えた本も、途中で飽きて本棚に眠っている本も、製作コストに応じたお金が著者の手元に入ってくるという点では平等に扱われてしまっている。 159