私も真似をしてひとつひとつに感想を。
掲示板方式(?)、面白いというか馴染み深いですね〜
あるある。
読まれないのはちょっと悲しいから読まれた方が良いと感じるのに、読まれていると思うと急に自由を失ってしまうという。
私の場合、「なんか、読み続けるほどじゃなかったかな」とか思われるのが怖いと思ったりしてしまいますね…。「期待外れ」という評価に対する恐怖というか。
わかる。
話はズレるが以前共感してもらった人見知りの話に繋がるかも。
最初はいい印象だったとして、だんだんと印象が悪くなるのに耐えられないという感じ。
とても嬉しいです。「自分だったら~」というのもよくわかります。私も昔の私だったらこうは書いていないなと自分で思う部分が結構あります。
昔とは「演出」をするベクトルが全然違っているんですよね。昔は演出というか演技の部分が結構多かったのですが(こういうキャラに思われたい的なものも含めて)、今は「私はこう感じているんです」というのがなるべく誤解なく伝わるように導くための演出という感じがあります。
ここの演出や演技の話はあまりそういうことを考えていなかったので面白いです。
自分の文体が良いのかどうかは自分にはわからないので、本当に嬉しく思います。
こうするしかないと思ってなるべく堂々とした顔でやろうと心がけていても、「でも全然面白くないかも~~~!」という恐れはいつも抱いています…笑
やはり恐怖を感じるものなのですね笑
わかる!
noteに書こうとしていた時にこれに陥って、私の場合は自分にとって「悪いこと」と言える程にマイナスに働いてしまったので(マイナスになるかどうかは人それぞれと思います)、反動で今の文体になったという感じです。
私がtksさんと違って致命的に失敗していたのは、「言いたいこと」の部分自体が自分由来ではなく「自分以外の誰かにとって有意義かもしれないこと」という想像上の何か由来だったことですね…。自己が薄れているどころか何もない…。
ここも興味深い話。
自分由来が重要であるのはもちろんだけど、誰かにとって有意義を考えるのは悪くないはず。
でもそれだけだと失敗するという感覚はわかる。
言及していただきありがとうございます。嬉しさと共感のあまり、文単位で感想を書いてしまいました😊
tksさんのSubstack活動が自由で豊かになるよう応援しております🙌
自分が読んで「なかなか面白いじゃないか」と思えたら勝ちだと思っています!
応援、嬉しいです。
意外と面と向かって応援されることはあまりないので。
今のところ、結果的に「悪くはないんじゃない?」くらいには思えているので、引き続きその辺りを達成できるよう書いていきます。