スペースで5時間はなした
ジャズ来るべきものさんにお呼ばれしてスペースでお話してきた。5時間くらいやってたらしい。長いな。nozawa先生もきてぜんたいてきにめっちゃたのしかったんだけど、なんかnozawa先生が大事な話してたきがするので寝て忘れないうちに書いてみようとおもって書いてる。なんだっけ。そうだkakauのメイキングのはなしだ。それは紹介記事に開発の経緯として書いたはずなんだけどそれとは違うみたいなことを言われたんだった。うーん、でもテキストで書くとなるとなんかはずかしいな。ああそうだ。なんでカーリーブラケットになったのみたいに聞かれたんだった気がする。形式的にきれいなモデルがまず見つかって、それ自体はきれいだから正しいって感じだったんだけど、それはそのままユーザーに見せても理解できるようなものではなくて、それはそれが抽象的なものだからであたりまえなんだけど。テキストの構造を横方向にもレイアウトしたかったんだけど、それをそのまま表示してもモデルが理解できなくて。それを理解可能にする方法を探してたら、たとえばカーリーブラケットが便利ってことになったんだ。たとえば。他のものでもいいんだけど。なにかちょっとだけ飾りというかヒントになるようなものがないと、構造が見てとれない。それは組版の歴史のなかでカーリーブラケットが発明された経緯とたぶん似たようなもので、まあなんかそういう線があることで繋がりとか構造が理解しやすくなって、それが記号として一般化した結果としていまのカーリーブラケットがあると。プログラミングでつかうカーリーブラケットはただの文字記号だけど、歴史的にはもともと分岐図というか分類図と言うかそういう分岐する図っぽくテキストをレイアウトしたときに、見やすくするためのおまけの線みたいなものだったらしい。カーリーブラケットは印刷革命後の最初の百年でなされた偉大なマクロ・タイポグラフィの発明の1つだという記事ああいま気づいたんだけど、いま変なテンションで異常な書き方してるからなんだけどScrapboxの弱点というか。一度も改行してないから一行が延々と続いてしまって、Wiki表記のレンダリングがずっと切り替わらない。まあそこはどうでもいいのだけど、自分が異常な書き方をしているということにおかげで気づいた。こんな話しておもしろいか?よくわかんない。でもnozawa先生は紹介記事より今話してる内容のほうがおもしろいみたいなことおっしゃってた気がする。余計な意味がつかない抽象的なかたちで、でも最終青果物では消えてしまう一時的なヒントとしてなんかガイドを表示するのもできるだけやりたくなくて、まさに記述したもの書いた記号としてそこに置かれるけど、余計な意味を持たずに、それをおくことで構造が読み取り可能になるものとしてたとえばカーリーブラケットがあった、っていうはなしだった。ソフトウェアってそれ自体なんでもできるというか、なんでもできるわけではないんだけど、制約が少ないと言うか、なにをどうやってつくったらいいかわかんなくなるんだよね。すぐ。だからモデルはただただ抽象的なものだったんだけど、それを書いたり編集したり読み取ったりできるようにするために、紙とペンやホワイトボードでふだんどうやって書いてるか、カーリーブラケットを雑に手書きすることも普通にあるよなとか、身体性とかギブソンの直接知覚論とか参考にしたり組版の歴史を参考にしたりしてやってる。身体性のはなしとか直接どこにやくにたってるかよくわかんないんだけど、いやちがった思い出した、モノっぽい感じが重要ってはなしだ。そこに実在を感じてほしいんだよね。ユーザーイリュージョンとしてのUIみたいなふわっとしたものではなくて、もっと存在感のある物体として知覚してほしい。知覚できるようにしたい。モデル自体は抽象的なんだけど、そのままじゃ抽象的すぎて使えないから、モノっぽさや具体性をうまく注入して、なんだろう、よく出来たペンやはさみのようなそういう道具のようなものとして作れたらいいなと思ってやってるんだけど。書いてみたけどやっぱりおもしろい気がしない。とにかくkakauはやばかったんだよ。モデルはいいとこいってるはずだっておもってたんだけど、使えないしみてわからないんじゃそれも意味がない。モデルを理解することがエディタをつかう目的なわけじゃ全然ないからそのために表示ぐちゃぐちゃしたらやっぱり本末転倒で。ユーザーが書くということを邪魔せず、自然にかくということとそれを見てわかる編集できるというのをモデルにつなげるのがとにかく大変だった。だから奇跡だと思う。まあ開発の相方を見つけられたのがそもそも奇跡なんだけど。それもtwitterでだった。あとはなんだっけ、鼻歌と黒人霊歌の身体性とか、平坦なMIDI打ち込みに感じる身体性とか、前者と後者をどうやってつなぐのとか。そういうはなしをした気がする。テキストエディタでも手書きに比べて文字をコードとして打ち込んでくわけで抽象度が高くて身体性や具体性は底になにもない気もするけどそんなことはなくて。そんなものであれば使えないはずなんだよね。エディタとして。というか文房具的な道具として。でもそれでも身体性ってのはあってキーボードを打つのは指出しディスプレイをみるのは目だし、文字をモノっぽいオブジェクトとして感じるのは、操作や視覚をとおしてそう近くするからそう感じるわけでそのオブジェクトは実体だ、っていえたらいいな。っていう。う。う。う。ジャズ来るべきものさんの前途に幸多からんことを。良い仲間や出会いやなんかたのしいこととかたくさんありますように。あとみんなでのみにいきたい。nozawa先生とかtenjuu先生とか来るべきものさんとかみんなで飲みに行ったりできたらいいな。(ファンタジー) あとhashrockさんなんかずっといたきがするのにずっときいてるだけだったからなんかはずかしいしこんどお話しにお邪魔しようと思ってる。スペースかなんかやってたら。いっぽうてきに話聞かれるだけじゃ不公平じゃん(?)