2026-04-03
デジタル・ガーデン
暗黙知、形式知
なるほど、シニアエンジニアの知識をチーム共通のインフラにするべきだという記事。AIの出力結果が人によってバラバラなのは暗黙知の形式化が進んでいないせいだというマーティン・ファウラー記事 / 自分は暗黙知記述が大学の専攻なんですが、暗黙知を記述しようと思って記述できたらすでに暗黙知じゃないわけで、深い内省あるいは行動心理学として観測を通してしか記述できず、そして人間は無意識に嘘をつく、というのを学び、要は何もわからんになりました "暗黙知を記述しようと思って記述できたらすでに暗黙知じゃない" ですね。
野中郁次郎的には、暗黙知を表出化(記述)することはできる。しかし、ポランニー的には、それは定義上できない。 補助線として、「人種のるつぼ」である米国企業はマニュアル化・標準化が大好きであり、そのことが資本主義的にも「正解」だったことを指摘できます。
人を入れ替え可能にするジョブ型雇用やIT化と、マニュアル化・標準化は相性がよい。端的に言えば、米国企業が簡単に「AIリストラ」できるのは、こういう構造に基づいています。
一方、日本企業はそれとは少し異なる伝統を持っていたはずです。いつのまにか米国化してきている。しかし、このまま米国追従を続けていってもいいのか、少し立ち止まって考え直したいと思います。
労働者の個性や暗黙知をどのように扱うかは、工学上・マネジメント上のテクニカルな問題ではなく、文化に深く根ざした経営思想的な問題です。私はすべてがマニュアル化できるとは思わないし、そうすべきだとも思いません。