詩的なコード表現の追求:ザック・リーバーマン
電通報でのインタビュー
例えば文章を書くとき、いろいろな書き方がありますよね。その中で、創作的に文章を書く、という行為があると思います。アメリカの大学では、実際に文章による表現を学ぶ「クリエーティブ・ライティング」という授業があります。クリエーティブ・コーディングとは、その考え方を拡張し、ソフトウエアを書くことでアートを作ったり、新しい表現を模索する行為のことです。 正直に言うと、クリエーティブ・コーディングの「クリエーティブ」という部分に違和感を持っています。なぜならクリエーティブとつけた瞬間に、コーディング自体はクリエーティブではない、ということが示唆されてしまうからです。ビジュアルがあろうとなかろうと、コードを使って新しいものを生み出そうとする行為自体は、本質的に変わらないのです。
クリエーティブ・コーディングの別の言い方としてPoetic Computation(コンピューターを詩的に使う)という表現を使いました。確かに、私たちが目指すことを「クリエーティブ・コーディング」という表現することもできました。しかし、先ほども少し触れたように、「クリエーティブ」という言葉の使い方にとても不安を感じていました。
仲間と議論を続ける中、“Poetic Computation”という名前が挙がったのですが、コーディングという行為と、詩を書く行為を結びつけるのは、考えてみるととても良いアイデアだと思いました。詩を書くという行為は、ある構造に従った上で、適切な言葉を配置していく作業で、プログラミングと似ている側面があります。また、詩は、われわれが通常話している言語を表現として昇華させたものです。プログラミングという行為も同様に捉えたい、という思いがありました。
「School of Poetic Computation」という名前を聞いて、具体的に何なのかイメージがつかない、という人がいます。でもそれでいいのです。なぜなら、その疑問から会話が始まるからです。詩とコード? どういうことだろう? まさに、そのような問い掛けを生徒たちにはしてほしいと考えています。
ここでリーバーマン氏は、詩の叙情性については述べていない。
日本語で詩と聞くと、最初に個人的な感情を吐露するものというイメージが湧く。
「詩的なコード」と日本語で聞くと個人的な自由な表現のようなイメージもある気がする。英語でのPoetic Codeは別の雰囲気を持っているのかも?