SNSとかとかを考え直してみる
SNSってなんなのか、なぜやってるのか、なぜやりたくなるのか、なぜ嫌になるのか、ずっともやもやとしていて整理したいなあと思いつつずっと後回しにしていた。年末も近いので、整理すべくなんとなく文字を書き始めてみる。
Twitter、なんか居心地が良くないなあと感じ続けていた。なにかきっかけがあるわけでは無いけれど、少しずつ投稿が減ったり、見てるだけになったり。そしてなんか新しい場所無いかなあと思ってみたり、結局よいところなんて無いなあと思って戻ってきてしまう。
これは自分だけじゃないはずと思ったりして、話題に出したりもするけれど、なかなか何がこの居心地の悪さなのかわからず、微妙な共感だけが残る。
ちょっとずつ考察していてまず思うのが、大きなSNSよりも、小さな好きなコミュニティのほうがよいなあと思ってくるところ。完全にクローズドなコミュニティや、全体とは繋がっていない小さくて一時的なスレッドに入り込む。具体的にはDiscordとかとか。ただ、これは大きなSNSから小さなSNSに人が移行していくとかそういう話ではなくて、小さなSNSの選択肢が広がってきただけに過ぎない。どちらも異なる場所で、異なる使われ方になっているだけ。
大きなSNSはどちらかというとニュースだったり、特定のトピックの話題を拾ったり、ホットなコンテンツを見る場所になってくる。Twitterのリアルタイム性がコンテンツの面白さに繋がってきたりする。
自分自身も特定のトピックにつよくフォロー関係があるのであれば、トピックに乗ってポストしたりもあるかもしれない。
すこしTwitterで違和感があるのは、見る場所と書く場所とで、使い方が変わるというところなのかもしれないとも思った。というのも、見るという点では様々なホットなトピックがフォロー関係を超えて流れてくるが、自分で投稿するという点ではフォロー関係の中に投下するような感覚であるはず。そこが非対称な感じがする。
かつては一致していたのものだったけれど、Twitterの変化に自分自身がついていけてないだけかもしれない。しかしかつてから変わらずフォロー関係はあるわけだし、それがなにか違和感を与えているかもしれないとも思った。
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ひとつ思った具体的な居心地の悪さについての分析。Twitterのおすすめの空振り率が高い設計になってる説を考えた。いろんなバズってるコンテンツを関連性や興味よりも高いウェイトで出してきていて、それが合っていないという可能性。コンテンツが比較的多いし消費スピードが早いので、空振りに対して雑になってしまう最適化が進んでいるのではないかと思った。
これは感覚の話だが、たとえば比較してYouTubeはより傾向の高い近いコンテンツ、たとえば閲覧に応じたクリエイターのコンテンツを積極的に出してくる気がしている。それゆえにあまり混じり気のないおすすめになっていう感覚がある。たまたまTwitterから飛んだ動画を見たのを起因して新しい動画のクラスタに踏み入れる感じがある。コンテンツの消費スピードが遅いのが起因しているのかは不明だが、もしかしたらあるかもと思った。
書き途中。