"日常1" (日本まちやど協会) を読んだ
いくつかメモ
「自分から『コミュニティを作る』と言うのは好きではなくて。... それよりも通りすがりで、『あの界隈知っているよ』ぐらいのほうが良いですね」
村上亜沙美さんのインタビューから引用
どうもコミュニティって言葉がしっくり来てなかったのか、腑に落ちた感じがした。このくらいのご近所さんくらいの感じが良くて、単に街の区画があるだけよね、ってところがイメージに近い。そんな場がいいなと、ちょっと考えていたけれど、その一つの具体例な感じがした。
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余白をつくれば、ハマる人が自然に現れる
余白を設けて、いい感じになればいいよね、みたいな話をたまにする。絶妙な空きスペースでも、フィットするなにかがいつかは入ってくる。物理的なたとえもあって想像しやすい。でもそういう作用、実際にいろんなところで見かけたり感じたりしていた。人にも当てはまる。
余白の残し方みたいな話もちょっと考えてる。TODO.
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"閉じていく"のは絶対必要だなと。
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最初は閉じていて、閉じていることを理解している人だけが進む狭い入り口から入ってきて、中に行ったらすごいおもてなしが待っている。
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閉じていくための工夫として、例えば館内にサインを付けないようにしています。
ケンメイさんのインタビューから引用
"閉じていく"っていう言葉がすごくハマった。入り口を狭くして、本当に好きな人が、頑張るモチベがあるひとが来てほしい、とかをよく考える。入り口ばっかりに目を向けがちだけれど、それ以外にも"閉じていく"ことはできるんだなという点がなるほどなと思ったところ。
そして具体例のサインの話がおもしろかった。サインを付けない代わりに聞かれたら丁寧に教える。そうすると知った人は誰かに教えたくなる。とても血が通ってていい。より深く知ってくれて、つぎの人につながり、居場所になっていく。そんな感覚がある。
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いろいろな感覚がアップデートされた。
なにかまた発見があったら追記する。