「Plurality」とは何か|日本語版解説
グレン・ワイルとオードリー・タン、そしてコミュニティの協力によって書かれたオープンソース書籍『PLURALITY 対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来』は、いま日本で読む価値のある本である。一方で、思想、学術用語が多用され、ハイコンテキストな技術・科学的概念が詳細な説明なく使われるため、本書は一読して理解することが難しく、いわば解説の書きがいがある本でもある。 「Plurality」とは、素直に翻訳すれば「多元性」や「多数性」を意味するが、本書ではその意味を拡張している。すなわち、Pluralityとは「社会的差異を超えたコラボレーションのための技術」である。台湾をはじめとする豊富なデジタル民主主義の実践事例を通じ、いかなる思想的バックボーンや歴史的文脈をもった活動なのか、その射程と未来が饒舌に描かれている。『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』の著者でもあるグレン・ワイルと、台湾のデジタル担当大臣を務めたオードリー・タンが、なぜこの本を書いたのか、またなぜこの定義を採用せざるを得なかったのかについて、日本の読者に向けて解説を試みる。
オードリー・タンは1981年生まれのプログラマー出身の政治家であり、2014年のひまわり学生運動以降、台湾政府とシビックテックコミュニティの橋渡し役として台頭した。彼女は民間のオープンソースコミュニティ「g0v(ガブゼロ)」出身で、16年にわずか35歳で台湾の政務委員(無任所大臣)に任命され、22年にはデジタル担当大臣に就任、以後24年に政務委員を退任するまでデジタル政策を統括した。彼女が関与した代表的な仕組みには、政府と市民が協働して法案を検討するvTaiwanプラットフォームや、誰でも政策提案や請願ができるJoinがある。vTaiwanでは、まずインターネット上であらゆる関係者や市民から意見を募り、それを可視化・分析して論点とコンセンサス(合意点)を抽出し、オフラインでの対面討論を経て合意形成を図り、その結果を法改正や政策に反映させるというプロセスがとられた。タンは、この一連のデジタル協働を通じ、台湾社会において不信が高まっていた政府への信頼を取り戻すことに成功した。 グレン・ワイルは1985年生まれの政治経済学者である。2018年の著書『ラディカル・マーケット』で、一人一票の原則や私有財産制といった近代社会の根幹制度を見直す大胆な提言を行ない注目された。その後、自身が創設したRadicalxChange財団を通じ、ブロックチェーンやAIなどの新技術を活用した次世代の社会制度づくりに取り組んでいる。ワイルの代表的なアイデアにクアドラティック投票(Quadratic Voting: QV)がある。QVでは、各参加者に与えられた「投票権(ボイスクレジット)」を自由に配分して複数票を投じることができるが、票を集中させるほど費用(クレジット消費)が二乗で増大する。例えば、1票なら1クレジットで済むところ、ある選択肢に5票投じるには25クレジットが必要となる。ワイルはこの方法で「意志の強さ」を適切に反映し、多様な利害のバランスがとれると考えた。また、QVの応用としてクアドラティック資金提供(Quadratic Funding: QF)も提案し、不特定多数からの小口支援を効果的に集め、公共プロジェクトを資金面から支えるメカニズムを実験している。 この二人の著者が出会ったのは、ビットコインに次ぐ影響力を持つ仮想通貨・イーサリアムのコミュニティで、ワイルの『ラディカル・マーケット』が評価され、イーサリアム設立者のヴィタリックを通じてタンが紹介されたからである。その後、ワイルはタンやヴィタリックらと共にRadicalxhange財団を設立し、研究者から実践家、啓蒙家への道を歩み始めた。 ワイルの『ラディカル・マーケット』の読者は、本書との思想的な眼差しの違いに驚くことだろう。『ラディカル・マーケット』では、極めてアトミックで個人主義的な人々が市場や投票のメカニズムを通じ最適な解に至る手法が大胆に提案されているのに対し、『PLURALITY』では、複雑な社会に生きる多様な主体が、コミュニティでの協働を通して問題解決にあたる。タンと台湾でのデジタル民主主義の実践との出会いがこの変化を生んだのは言うまでもないが、ワイル自身のなかにもその萌芽が育まれていたことは確かである。なお、ワイル自身による『ラディカル・マーケット』への自己批判は、2020年のブログにすでにまとめられているので参考にしてほしい。 healthy-sato.icon
さて、Pluralityとは何だろうか。Pluralityの思想的起源のひとつは、本書で紹介されているとおり、ハンナ・アーレントの「複数性 ・多元性(plurality)」という概念にある。アーレントは『人間の条件』の序盤で、「人間(men)が一人の人間(Man)ではなく、複数で地上に生き、世界に共に居住しているという事実」こそが複数性であると定義している。つまり、どの人間も「人間である」という点で共通し、互いに理解し合える平等性を持つ一方、各人は他の誰とも同じではなく、固有の人生と視点という独自性(差異)を有している。アーレントは、この「平等でありながら異なる」という二重の特質こそが、人間の多元的な在り方を示すものだと考えた。この視点から、人間を政治的存在として捉え直し、複数性を人間が政治的であることの基盤と見なした。 本書ではPluralityを「社会的差異を超えたコラボレーションのための技術」と定義している。人はそれぞれ異なるという事実を前提とすれば、政治的合意形成の困難さに直面すると同時に、ひとつの可能性が見えてくる。差異を超えてコラボレーションを実現するためには技術が必要であり、その過程には創造的なプロセスが伴う。
本書の英語版本文中では、"collaboration across ~"が25回、"cooperation across ~"が6回登場する。このニュアンスの違いについてタンに直接尋ねたところ、以下の返答があった。
「わたしは『コラボレーション』という言葉を用いて『共創』や『ピア・プロダクション』を表現し、共有された創造的プロセスを強調している。一方、『コオぺレーション』にはこの意味合いも含まれるが、必ずしも創造的な相乗効果を伴わず、より取引的な相互作用を指す場合もある。したがって、『コラボレーティブ・ダイバーシティ』の方がより強い表現(より意欲的)であり、『違いを超えたコオペレーション』はより弱い表現(達成しやすい)である」
創造的プロセスを生み出す源泉こそが差異であり、差異は必ずしも悪いものではない。差異を包容する温かい眼差しがここにはある。差異が共存するためには技術が必要であり、技術が十分でなければ、差異を社会的に許容できなくなる。個々人および社会的差異を生成する科学的バックボーンとして、本書では第3章で複雑系とウィーナーのサイバネティックスを挙げている。複雑系の科学では、たとえ個々の素子が単純であっても、その相互作用からカオスやフラクタルなどの複雑な現象が生じる。現代のインターネット技術や人工知能技術の祖先のひとつであるサイバネティックスは、生命のなかに制御技術が存在し、技術が生命の不可分な拡張であることを示している。また現在のAIのコア技術である人工ニューラルネットワークもサイバネティックスの潮流から生まれてきた。サイバネティックスの影響を受けたリックライダーが、人間が技術を通じて能力のフロンティアを拡張していくさまざまなアイデアを創造していく。インターネット技術そのものや、オープンソース運動、さらには台湾における実践も、こうした技術史、科学史的コンテキストの延長であることが明らかにされる。 人間はアトミックな存在ではなく、その社会関係に応じて異なる役割を求められる。こうした社会的関係性に着目する視点は、ジンメルに端を発している。さらに言えば、人間そのものが、社会関係がなくとも初めから複雑な生命体である。そこに社会関係が加われば、なおさら複雑な存在となる。
このような複雑な存在同士が、差異を超えてコラボレーションするためには技術が必要である。これまでの歴史のなかで、そのための技術はさまざまなかたちで生まれてきた。例えば、浅いコラボレーションの例としては、貨幣を使った市場取引が挙げられる。人々のニーズに差異があるからこそ取引が成立する。一方、非常に親密な友人関係のなかでのみ通じる非言語的なコラボレーションも存在する。どちらが優れているかを論じるのではなく、いずれも技術によってその可能性の地平が拡張されるのである。
本書第5章の322ページにある図5-0-Aは、Pluralityすなわち「社会的差異を超えたコラボレーションのための技術」がどれほど広範な射程をもつのかをよく示している。図のキャプションには「コラボの深さと多様性の広さのトレードオフを生産可能性フロンティア上の点として表現」とあるが、Pluralityとは、技術が可能にする面積を広げるあらゆる活動にまで及ぶ。だからこそ、ワイルは一般的な社会技術だけでなく、拡張現実などの没入型技術や日本科学未来館で展示される高齢者の生活体験技術などもPluralityと見なすのである。若者と高齢者という身体的な差異をもつ存在が技術を通じて、コラボレーション可能になるからだ。 図50A
図5-0-A courtesy of cybozu
したがって、一般的なデジタル民主主義のサービスやツールとして認識されるものに限らず、「社会的差異を超えたコラボレーションのための技術」として実現されるあらゆる活動がPluralityに含まれる。デジタル民主主義やメカニズムデザインでよく語られる社会技術よりも、はるかに広い定義まで射程を拡張し、その意義を強調しているところに本書のユニークな特色がある。
Pluralityと日本との接続性
本書と日本との関係性についても述べよう。日本版では、著者の二人が日本への熱い想いを冒頭で述べているが、本文中でも何カ所か触れられている。例えば、サイバネティックスの影響を受けたデミングが日本で生産管理の手法を根付かせた事例や、安野貴博が東京都知事選に出馬し、本書を参考にした選挙戦で15万票を獲得した最近の話題などが取り入れられている。また、わたしの著書『なめらかな社会とその敵』(2013)も、本書に先行する思想をもった一冊として紹介されている。 わたしがワイルとタンと初めて出会ったのは、本書の英語版が出版されて間もない2024年7月のことであった。Funding the Commons Tokyoという会議、および日本科学未来館と『WIRED』日本版が共催するイベントでご一緒させていただいたのがきっかけである。その際、ワイルが「わたしの専門家としての生涯のなかで最も有意義な一日」と称した体験については、本書の冒頭の「日本語版刊行に寄せて2」に詳述されている。わたしも『なめらかな社会とその敵』と本書『PLURALITY』の間に極めて多くの共通点を見出し、以来、ワイルとは同志として交流を深めている。
グレン・ワイルと共に『Plurality』と『なめ敵』の共鳴を解き明かす:なめらかな社会へ向かう6つの対話 #3 SZ MEMBERSHIP
グレン・ワイルと共に『Plurality』と『なめ敵』の共鳴を解き明かす:なめらかな社会へ向かう6つの対話 #3 By Shunta Ishigami
複雑系と創発性、サイバネティックスを技術思想の起点とし、社会学としては社会ネットワークや分人の概念、政治学としてはジョン・デューイやトクヴィルの哲学、そして、コンピュータ技術なくしては実現できない具体的な貨幣システムや投票システムを設計しているところなど、双子の書籍といっても過言ではないほどの共通点がある。
そもそも、デジタル民主主義運動の歴史は長く、その起源は1999年にさかのぼる。情報建築コンサルタントのダルシー・ディヌッチが提唱したWeb 2.0の概念は、2004年のティム・オライリー主催のWeb 2.0 Conferenceで広く認知され、従来の一方向的な情報伝達から、ユーザー参加型の双方向的なネットワークへとウェブの性質が大きく変革される契機となった。この時代背景のなか、03年に伊藤穰一は「創発民主制」を提唱し、インターネットを通じた市民の自発的参加と協働による政治形成の可能性を示した。 一方、技術革新の勢いを背景に、オライリーは09年頃からGov2.0という考え方を打ち出し、政府もまたオープンな情報共有と市民との協働を進めるべきだと主張した。同年、米国ではCode for Americaが設立され、IT技術を駆使して行政の透明性と効率性を高め、市民参加を促す取り組みが始動した。これに影響を受け、13年には日本で関治之によってCode for Japanが、14年にはドイツでCode for Germanyが発足し、デジタル民主主義の実践が国際的に広がっていった。 米国においては、08年から16年のバラク・オバマ政権下で、Open GovernmentやDemocracy 2.0の施策が積極的に展開され、政府と市民との双方向の対話が推進された。しかし、16年の米大統領選挙を経てドナルド・トランプ大統領が就任すると、政治空間のアジェンダが一変し、従来のオープンな政治運営は一時下火となり、透明性や市民参加への意識が後退する動きが見られた。 一方で、16年以降、台湾ではタンが政務委員として活躍し、従来の枠組みに囚われない革新的な取り組みを実施した。彼女の指導のもと、台湾政府はvTaiwanなどのオンライン対話プラットフォームを活用し、市民と政府が共に議論し合意形成を図る仕組みを確立した。なお、24年にタンが政務委員を退任し、台湾のデジタル民主主義は新たな局面を迎えようとしている。
こうしたなか、24年の安野貴博による東京都知事選出馬は、Plurality運動においてグローバルにも注目度が高い新たな展開のひとつである。25年に入ると、安野とわたしは「デジタル民主主義2030」というオープンソース・プロジェクトを開始した。まだ始まったばかりではあるが、日本にデジタル民主主義を根付かせるきっかけとなることを期待している。
安野貴博と訪れた台北から見えてきた、デジタル民主主義の現在地:なめらかな社会へ向かう6つの対話 #4 SZ MEMBERSHIP
安野貴博と訪れた台北から見えてきた、デジタル民主主義の現在地:なめらかな社会へ向かう6つの対話 #4 By Shunta Ishigami
技術には、人の主体性を増大させる技術と、逆に主体性を減退させる技術の二種類がある。本書で紹介された事例をそのまま日本に導入すればうまくいくという考え方では、参加する人々の主体性を損ない、決して成功しないだろう。読者には、「社会的差異を超えたコラボレーションのための技術」として本書を日本の文脈に取り入れ、発展させることが求められている。わたしたち自身もその思いを胸にプロジェクトに取り組んでいる。
本書では台湾における実践を奇跡的な成功事例として取り上げている。日本で導入するにあたっては、台湾のg0vやvTaiwan、Joinの実態を十分に理解した上で行なう必要がある。そこで、わたしたちはスマートニュース メディア研究所にデジタル民主主義研究ユニットを設立し、そのプロジェクトの一貫として、高木俊輔が24年12月に台湾を訪問し、その詳細をレポート(2025年2月公開)にまとめている。
高木の報告を踏まえ、安野とわたしは、デジタル民主主義2030プロジェクトチームと共に、1月下旬の3日間にわたり台湾を訪問し、台湾における実践に深く関与する関係者13名へのインタビューを行なった。そのなかで特に学びが大きかったのは、台湾の市民参加型民主主義のファシリテーターを長く務めた林雨蒼へのインタビューで、デジタル民主主義の実践が、実はオフラインでの膨大な努力なしには実現しないことが明らかになった。また政府内での大臣クラスの強いコミットメントがあってこそ結果が出たわけで、市民側の活動と政府のコミットメントという両輪が必要であるとわかったことが大きな学びであった。タンが政務委員を退任したあと、その片方の輪が弱くなり、台湾のデジタル民主主義は踊り場に差し掛かっている。彼女のカリスマ的能力が台湾の奇跡を牽引していたことはすばらしいが、今後はより仕組み化していき、誰もが実践できるようにしなくてはいけない。そのキーワードは、プロダクト・マーケット・フィット(PMF)だとわたしは考えている。
本書の第5章では、Pluralityのさまざまなメカニズムや実践例が紹介されている。そのうち、どれがPMFを達成していて、どれがプルーフ・オブ・コンセプト(PoC)のレベルなのかを理解することが大事だ。デジタル民主主義研究ユニットからPluralityのメカニズムや実践例のPMFに関するレポートが公開されているので、本書の副読本として参照してほしい。
デジタル民主主義にはさまざまな課題があるが、この可能性の空間に果敢に飛び込むことが重要である。特にAI時代の到来により、これまで不可能と思われていたことが可能になるかもしれない。日本で始まるデジタル民主主義2030では、大規模熟議プラットフォームを最新の生成AI技術を活用して実験している。こうした動きは日本だけでなく、AIをデジタル民主主義に適用する研究や実践が各国で始まっている。Google DeepMindの研究者らによるハーバーマス・マシンなどはこうした例のひとつだ。AIが大規模なコメントの分類や要約作業を代行したらどうなるか、人間の代わりにAIがファシリテーションをしたらどうなるか、AIが少数意見や創造的な意見の発見をしたらどうなるか、AIの適用範囲は広い。Plurality Instituteは、2025年2月下旬に米国バークレーで大規模言語モデルをオンラインの対話に使うための専門家を集めたワークショップを開催し、わたしたちも参加している。こうした試みや国際的な連携が、Plurality運動に厚みを与えていくことだろう。 Pluralityという用語が使われるようになったのは、タンが16年に台湾の政務委員に就任するときの職務記述書を自ら書くことを求められたときに、官僚的な文章ではなく、印象的な詩を書いたことがきっかけだ。詩の全文は本書の88ページにあるので参照してほしいが、その一節に、『「シンギュラリティは近い」と聞いたら思い出そう。「多元性」はいまここにあるのだと。』(When we hear ‘the singularity is near,’ let us remember: the plurality is here.)というフレーズがある。レイ・カーツワイルが人間をはるかに超えるAIの到来を予言した「Singularity is near」にひっかけたのである。それから9年が経ち、生成AIの爆発的な進化を眼前にし、いまや「The singularity is nearer, and the plurality is here.」の時代に入った。 技術進化が、Pluralityの可能性のフロンティアを広げるために使われることを願ってやまない。そのフロンティアは、本書の読者と著者らの差異が産み出す、終わりなき創造力のなかにある。
※以上は、『PLURALITY 対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来』の日本語版に鈴木健が寄稿した解説であり、原著と同様にCC0ライセンスで公開されている。
1998年慶應義塾大学理工学部物理学科卒業。2009年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は複雑系科学、自然哲学。東京財団仮想制度研究所フェローを経て、現在、東京大学特任研究員、スマートニュース代表取締役会長。WIRED.jpにて「なめらかな社会へ向かう6つの対話」を連載中。