父親の癌宣告とその後の記録
pollenjp.icon 思い出すと辛くなるのでなかなか書けていないのですが、落ち着いてきたので記録として箇条書きで残しておきます。
ポエムとしてお読みください。
2018年度中 癌宣告
父に前立腺癌が見つかる (当時 pollenjp.icon は学部3年生)
ステージ4
健康診断の結果は悪かったが楽観的だったのか病気を舐めていたのか精密検査に行かず長年放置していたらしい
家族一度まさかそんな健康診断が悪かったなどと思ってもおらず困惑
※その後数年で治療により一時的にかなり回復した
2019/04 - 2020/04 pollenjp.icon が休学
父は会社を5社前後経営 (個人経営の会社から社員を数十人抱える規模まで)
大学院進学と家業のことで pollenjp.icon は思い悩み休学期間を設けることにした
2023/08 癌の悪化 / 通い介護
一時的に回復を見せ落ち着いて癌だったが、股関節・腰の骨に転移し一人での歩行が徐々に困難になる (程なくして歩行器を導入)
pollenjp.icon は東京に住んでいながら介護をする方針で対応
運悪くこの時働いていた会社がフルリモートから週一出社義務化 に舵を切った (入社時はフルリモートだった)
出社曜日に有給を取ることで連続した二週間はリモートで済むため、2週間毎に東京と実家 (東京から新幹線を経由して片道3時間) を往復する生活をしていた
2024/02 癌の悪化 / フル介護
遂に一人で歩けなくなり徐々に寝たきり状態になっていく
pollenjp.icon は東京を離れることを決意
ずっと父のそばで看病・介護してくれていた母の精神状態も気にかかるところがあり東京を離れることに。
会社を辞める覚悟で上司・上長に相談
例外的にフルリモートとして継続させてもらうことに
介護生活
要介護認定の中では「要介護3」とかだった気がします。
移動のときは pollenjp.icon がお姫様だっこして車に乗せたりベッドに運んだりしましたが、体に触れるだけでも痛みを感じるようにそれも叶わなくなっていきました。
pollenjp.icon 特にこの頃から精神的にキツくなっていました
親だからと言うのもありますが、眼の前で悪化の一歩を辿り苦しんでいる人を見るのは本当に辛かったです。
pollenjp.icon は父が寝ている部屋の上の階で寝ていたのですが、毎晩痛みで苦しんでいる声を聞きよく起こされていました。
不幸なことに父はインターネットに疎く「動かなくても良い趣味」が少なかったため良い暇つぶし提供できませんでした。
pollenjp.icon 自己研鑽の断食
介護の負担から自己研鑽の時間を確保できないことにストレスを感じていました。
そこで信念を持って自己研鑽をしないことを決断しました。
優秀な同世代の人たちが成長していく姿などは毒なのでこの時期から Twitter を開くことを辞め、頻繁に顔を出していた Discord コミュニティ等からも離れることにしました。
今思えばこれは自分の心を守る手段として有効に働いたように思います。
この年の GitHub の草はぽっかり穴が空いています (たまのコミットは技術メモ程度)
https://gyazo.com/121abd910b4203826bae83ab5524c667
※父の性格
父は非常に頑固な人で頑なに入院を拒否しておりました。私と母は非常に苦労していました。
父は口も悪く、とある病院ではブラックリスト (受け入れ拒否リスト) に入れられるほどでした。
よく私と母で平謝りしていたものです。
結局亡くなる2週間前まで家で介護していました。
家で看取ることの辛さはよく聞き及んでいましたが本当に心身共に辛かったです。
直前まで何度も救急車に運ばれ、本当に救急隊・病院の方々には頭が上がりません。
2024-07 ~ 2024-08 父が旅立つ
大嫌いな父親でしたが泣きました。
父は祖母よりも早く旅立つこととなってしまいました。
非常に無念だった思います。
2024-12 ~ 2025-01 父方と母方の祖母がそれぞれ時期を同じくして旅立つ
父の後を追う形で祖母が旅立ちました (老衰) 。
時期を同じくして母方の祖母もなくなりました (老衰) 。
これから
父を亡くした母に今後寂しい思いはさせないと決めました。
おそらく今後長期的に実家を離れることはないでしょう。 (仮に仕事で離れる場合でも少なくとも週1~月1で実家に顔を出す)
元々は家族6人ほどで暮らしていた大きな家ですが今は二人で暮らしています。
前職は業績や経営転換などによりフルリモートが危うく感じられたため退職金を貰えるタイミングで辞めました。
現在はなるべくフルリモートを中心に次の仕事を探しております。