面白さ、好きの重要性
面白さ、好きの重要性
前から思っているのだが、「好き」や「面白い」という言葉を舐めてはいけないmiyamonz.icon
「好きなことで生きていく」という言葉を見た瞬間に、
「ここでいう好きって何?」という疑問が沸かないような人がこの言葉を語る資格は無いんじゃないの?
と当時よく思った
自分の「なにがおもしろいと思うか」「何が好きか」を発掘する営みが大事なのでは
普段の雑な練習ってこれの採掘やってるだけだし
「面白い」批評、「好き」批評じゃんjjkohei.icon
何かについて考えたら全部批評に吸収されるmiyamonz.icon
sorena!jjkohei.icon
好きの対象をコンテンツとしてとらえて、その受容過程をリバースエンジニアリングしたいjjkohei.icon
享受の際に何が起こっているのかを分析する
面白そうなのでkwskmiyamonz.icon
特にまとまわっているわけではない
「好き」に限定せず、なにかしら引っ掛かりを感じることを深めていくことは研究・創作では最重要だと思う
その引っ掛かりについて考察する過程をリバースエンジニアリングとして捉えられないか
なるほどmiyamonz.icon
そもそもあらゆる情報の受信を、コンテンツの享受と理解できるような気もする
なにかを自分から発信してそのレスポンスをもらうことを含めて
最終的にはブラックボックスになってしまう部分はあると思う
結局「好み」っていうのは本当になぞだと最近よく思う
環境に限定される部分はあれど、最終的なところは環境では説明できない
大衆文化を論じるのって、大衆の「好き」を批評しているようなものではjjkohei.icon
無意識な行動やその痕跡などを文化の一部としても捉えることはできると思うmiyamonz.icon
ただ、「好きなもの」=興味関心 はデカいのでそれはそう
↑自分もあまり考えはまとまらないが、そうだねって感じだmiyamonz.icon
関連書籍?
想像、期待、意外性
インタラクションで捉えるというのは大事だと思う
一人で楽しむ場合においても、自分自身の中で
想像というコールと
新しさというレスポンス
などを感じているように思う。
舐めてはいけない、とは書いたが、じゃあ自分はどう取り組んでるの?と言われると何も分からんですが…miyamonz.icon
なんか単純に「自己分析」っぽいjjkohei.icon
たしかに?miyamonz.icon
自己分析という言葉よりかは解像度が高くなってる気がするので、「好き」について考えるほうが建設的な雰囲気がある
好きなキャラクタとか、好きなもの、ってのをパッと思いつくのは難しいが
少ない選択肢からの選択
パラメータ調整、
モンタージュ、
本棚から1冊とる
ネットで検索より、本屋で眺めたり
のほうが選びやすい
選びやすい方法を使って、何度か自分の好みの選択を繰り返すと、輪郭がはっきりしてきて、自由選択の際にも参考になる
という感じで、わりとシステマティックな方法で好みの採掘ができたりもする