ジャグリングの定義ってなんだ
miyamonz.iconが昔に書いたもの 2018/4頃
をみんなで加筆してる
ーーーー
ジャグリングの定義は色々あるけど
2(腕の数)と3(ボールの数)が互いに素であること、
3ボールジャグリングというのは、平均をすると一つの手が1.5個のオブジェクトを扱っているということ
ループの中に性質を見出せるものとしては定義できないだろうか
波というのが、物体ではなく事象であるのと似ている
棒のバランスは、棒を扱っているが、間違いなく、「棒を握る」というものより、明らかに多くのものを「扱っている」
物体を用いているが、その物理的な物体以外の概念を扱う行為をジャグリングと呼べる
制約、と述べたりすることもある
物体がなければ存在できないが、物体それ自体とは明らかに異なる対象
水がなければ波を見れないが、
波は間違いなく水と等しくない
波は現象
波という概念は、媒介がなければそれを認識できないが、一方で波という概念は、媒介が何であるかに依存しない概念である
意味としてもそうだし、
波動に関するなんらかの理論もそうである
数式で表現する、ということは、間違いなく水の存在から独立した概念であるということを示すもの
ジャグリングとは何か?という問いをこのアナロジーに添えるなら
波の性質を導き出すことは何か?
という問になろうか?
練習に関する説明は抜けている
〜〜とは何か?という問に
名詞は受けられるが、動詞を受けるとなんか変
ラーメンとは?
ラーメンを食べるとは?
食事だろ、バーカ
科学は物体や現象における法則を見出す行為だが、ジャグリングは、物体や現象を(特に後者に置いて)操るものである
実践
歴史的な背景としては、その技術の見栄えの良さ、すごさから、(ある特定の意味で)芸術的な探求が、他の技能に比べて、行われていないかもしれない
バトントワリング、新体操等の体の美しさ、姿勢、ポーズへの探求等の意味です
2個の手で3個のボールを操る、というのは工学的な、物理的な難しさを要求するもので、「ボールと体だけで、〜〜の悲しさを表す」といった、芸術的な要求を、今までジャグリングはしていない
してもいいが、なんというか不毛
ジャグリングは、
制約を解決するというタスクがある
普通、人が見ると「すごい!」を感じる
この2つが明らかに感情表現において邪魔
わざわざそれをする意味がない
絵を書ける人が、絵を描く手段を持って表現をすることはある
表現をしようとして絵を描くのではなく、たまたま自分は絵画を習っていて、描けるからやってみよう、というパターン
ジャグリングでは、これがおこるためには、まだ
技術教育的
見る側の慣れ
どちらも大きくボトルネックとして残る
という点は、ジャグリングが他のスポーツとは異なる点であるかもしれない
その工学的な課題は、ロボットダンス、タットなどでは、法則性が幾何学によって求められているところはある
身体を主体としていない、という特徴はある
ーーーー
中西のジャグリング観
人間と物体の関わりの実践
ジャグリングであれば制約であることが多いが、
制約を作ってもジャグリングにならないときもある
「2019/10/19 01:55にカスケードする」は「カスケードする」と違う技にならない 制約があるのに
疑問jjkohei.icon
生命現象はジャグリング?
→現象がすべてジャグリングなわけではない
人間は必要?
→かも
主体が必要?
→かも
これはわりと大事な気がするjjkohei.icon
オブジェクトを操る
「近代」的?
ジャグリングによって生まれる「主体」こそが「人間」なのだよmimizu.icon
これ大事よmiyamonz.icon