plurality
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多様な協働を可能にするテクノロジーに集中しており、民主主義とテクノロジーが共に繁栄するのが見られました。このPluralityの新しいパラダイムのリーダー集団によるこの本は、技術者、政策立案者、ビジネス リーダー、活動家のすべての人たちがPluralityを利用して、より協力的で多様で生産的な民主主義の世界を構築する方法を初めて示すものです>
https://www.radicalxchange.org/media/blog/plurality-technology-for-collaborative-diversity-and-democracy/#日本語
/tkgshn/UC Berkeleyで行われたPlurality Conferenceに参加した#63deeb4809c5f200003d51e8
/tkgshn/plurality
twitterでなんかおすすめしてた気がする
サービスに合う人ではなく、「その人に合うサービス」であり、それがいわゆる「多様性」と呼ばれるものであると感じています。
多様性とは、特定のグループの人々を大切にするだけではなく、多くのサービスが常に多様な価値を持っていることです。
まず印象的だったのは、彼らが文字に執着していない点です。ある知識が伝えられていく際に彼らが気にするのは、それが最も適切な方法で伝えられているかどうかです。彼らは五感を組み合わせて完璧に伝えたいと考えていて、目で見る文字だけに頼ることはしないのです。
これは、私にとってまったく新しい考えでした。私は漢字文化圏の中で育ちましたので、この文化圏では、教育システム全体が文字での表現に固執しています。まるで、最後に文字にならないものは存在せず、力を費やして学ぶ価値がないかのようです。しかし、タイヤル族の場合はそうではありません。口から耳を通して伝えられていく経験も同様に貴重なものであり、実践的な知恵として伝えられることも多いのです。
もう一つ印象的だったのは、部族の間では資産の多さではなく、世話をした人や動物の数でその人の地位が決まることです。
人の経歴や社会的地位は、どれだけの財産を持っているかではなく、何を与え、何を分かち合い、地域のために何を創造し、どれだけ多くの人を世話する能力があり、どれだけ多くの命を養うことができるかで決まるのです。資源を持っている人は、それを自分のために溜め込むのではなく、共有することで、部族内での評価を高めていきます。
その時から、人の価値は蓄財の多さではなく、その財産をどれだけ人に分け与えたかにあると思うようになりました。
統治者の価値観っぽいなpinokey.icon*2
https://bunshun.jp/articles/-/55845?page=2