第6章 プチ・エメチェタを読む: 女性学における「女性の経験」への挑戦 / 猿・女・サイボーグ
要旨
こうしたかたちの分析から明らかになるのは、「経験」とみなされる存在が、特定の社会状況や言説をはじめとする各種の実践に先立って存在することなどありえないということであり、また、こうした実践を通じてこそ、経験は経験として整理され、他の種々の記述内容とともに整理されうる存在となり、さらにはまた、集団としての経験という記述内容を構築することーー有力であるが、神秘化されることも多い作業ーーが可能となるということである。「女性の経験」は、ある種先行的な資源として、単にあれこれ描写され、領有されるべく、あらかじめ存在しているわけではない。何をもって「女性の経験」とみなしうるかは複、数の問題ーー相互に調和の取れていないことも多い複数の問題ーーの内部で構造化されている。「経験」は、「意識」と同様、意図的に構築されたものであり、第一級の重要性を有するアーティファクトである。 猿と女とサイボーグ / ダナ・ハラウェイp.216 l7 疑問
moriteppei.iconp.214の「フェミニズムの灌木」構造がよくわかんない。なんで無限回枝分かれが繰り返されることになるの?
moriteppei.iconアフィニティって何? p.218 l5
moriteppei.iconアレゴリーって何。p.219 l2 moriteppei.iconウーマニズムって何。p.226 後l6 moriteppei.icon「エメチェタのフィクションと、エメチェタの人生というフィクション」人生はフィクションちゃうやろ。p.232 後l1
moriteppei.iconシノプシスって何? p.234 後l3 感想
moriteppei.icon「アイデンティティではなくアフィニティ」ってすごくおもしろい発想だな。p.218 後6