日記の魔力より日記の定義らしきところ
『日記の魔力』(表 三郎 著) はじめにより、
"日記は、「日々の記録」である。それは英語で日記を意味する「diary」という言葉が「daily(日々の)」を語源としていることからもわかる。では、なぜ「日々の記録」をあとで読み返す必要があるのだろうか。それは船乗りの「航海日誌」のようなものを考えてみるとわかりやすい。現在の航海は、レーダーやGPS(全地球測位システム)などさまざまな機器によって、三百六十度、水平線しか見えないような海の上でも自分の現在位置を知ることができる。だが、ほんの百年前までは、海の上で自分の現在位置を知る方法は、夜空の星を見ることしかなかった。日々の星の位置、太陽の昇る方向をきちんと記録し、自らの現在位置を正確に把握していなければ、目的地にたどり着けないどころか、迷子になってしまう。また、アクシデントに見舞われても、その記録をきちんと残していれば、次のときには同じようなアクシデントを回避することもできる。だから、船乗りたちは、どんなズボラな人間でも必ず航海日誌をつけていたのだ。「面倒くさいからやーめた」では通らない。命がかかっているのだ。そんな当時の航海日誌を見ると、そこには「考えたこと」など何も書かれてはいないことがわかる。日々の出来事を、あるがままに、淡々と記録しているだけだ。私は、日記というのは本来こうしたものだと思っている。" http://a.co/iEKXoqh 日記は日誌でいいのだという提言。