日記の定義
usabo_tweet.icon企画を拝見したときに、「興味はあるけど日記書いてないしなー」と感じました。
ログ以上日記未満な素材がたすくまとかブログ、ツイートにありそうだなと
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自身のブログ「人生ダッシュボード化計画」は少なくとも半年は、公開日記ブログであり、期間を区切って過去を現在視点で振り返り、未来への行動宣言につなげる行為の場になっていることに気づきました。
ということで、日記の定義
一人称で自身の経験や思考を綴ったもの
過去、現在、未来と時間軸は問わない
読み手を意識する場合としない場合がある
mailman.icon日記の定義ってなかなか難しいですよね。ライフログと日記ってどう違うのだろうと考えてしまいます。 以下自分なりのメモ。
日記=日々の記録と考えてみる。記録と考えると後から読み返したり見返したりできることが条件になってくると思う。
そうすると読み返したりできる形式で日々の記録が書いてあればそれは日記となるのではないだろうか?
あとは日記に様々なバリエーションがあるだけなのかもしれない。
twitterは140文字思考日記だし、日々のタスクリストはタスク日記。
では毎日買ったものを書いていったノートは買ったもの日記になるだろうか?どちらかというとログとなる気がする。
なんでだろう?
多分自分の性格的に買い物は特に興味ないというか意志を入れ込んでいないというのか。あまり一日の中のトピックと感じないからかもしれない。
日記の一部にはなっても、日記自体にはならないというか。
あと毎日読んだ本を書いたノートも日記というよりは読書録となりそう。ただそこで感想とか考察が入ってくれば読書日記となりそう。自分にとっては読んだ本よりも感想や考察することがトピック、ポイントと考えているのかもしれない。
そう考えると自分なりの日々のトピックが含まれた記録が「日記」といえるのかもしれない。逆にトピックが含まれないものは「ログ」といえるかも。 睡眠時間の羅列はログだけど、そこに感想とか改善方法とか書き込んだら睡眠日記となるかもしれない。
トピックを書くから感情が出てくるというのと、感情から自分なりのトピックを見つけ出す的な双方向かあるかも
rashita.icon日記(diary)と日誌(journal,log)の違いとは?
mailman.icon日記と日誌の違いはなんでしょうね?日記は日記が自分なりのトピックとか感想、感情に重きを置く。日誌は逆に客観的な事実などに重きを置くイメージでしょうか。
業務日誌、航海日誌とかは事実を中心に書いて、そのうえで考察とかがあれば加えられるイメージがあります。
Ray_mnzk.icon日誌を「log」とするならば、瞬次レビューのようにリアルタイムに感想や感情をメモしたものは日記か日誌かどちらになるのでしょう?
mailman.icontaskchuteとかたすくまの瞬時レビューのようなメモは日誌のような気がします。でも「日記の魔力」なんかは行動を書き連ねていく形式の日記について書いてあったと思うのであいまいですよね。
rashita.icon誰かお持ちの人は「日記の魔力」から日記の定義を(もし、明確に記述されていれば、ですが)引用してもらえたらいいかもしれません。私は『知的生産の技術』から引用してみます。そういうのをごちゃっと持ってきてもいいですね。議論が盛り上がる(かも)。
mailman.icon「日記の魔力」を持っているのでちょっと定義がのっているか調べてみますー
rashita.iconよろしくお願いします。
rashita.icon連載全体で「これが日記の定義です」と決めてしまうよりも、書く人それぞれの「私は○○を日記だと考えています」というのを持ち寄った方が、全体として多様性があるというか、立体感のある話になりそうな予感があります。
mailman.icon人によってこれは日記だと思う感覚が違うけっこう違う気がしますね。上の方でうさぼうさんはたすくまを日記未満と書いてますが、わたしにとってはたすくまも日記じゃないかなーと思えます。
rashita.iconその辺の多様性が伝わるコンテンツになったらいいですね。きっと面白いと思います。
rashita.iconでもって、それぞれちがうんだけれども、何かしら共通点はある、みたなものが浮かび上がったら(浮かび上がらないかも知れませんが)それこそが、日記の本質というかコアとは呼べそうです。まあ、そんなにうまくいくとは限りませんがw
閑話ゾーン
rashita.icon同時編集は初ですねw ここのプロジェクトだとw
mailman.iconそうですねw
rashita.iconやっぱり快適です。
mailman.iconわたしは同時編集は初体験なのですごい新鮮です
rashita.icon僕も最初やったとき、とても新鮮でした。Evernoteだと同期の競合エラーでめちゃイライラするんですw
rashita.iconチャットではないので、普通に適当に一文書ききって、後から項目下にぶら下げて反応する書き方ができますし、その方が心地よいです。「無理して話を分断したり、いちいち話を戻したりする必要がない」というのが特徴なので。
『知的生産の技術』p.161~
日記と記録
日記は、ひとにみせるものではなく、自分のためにかくものだ。自分のためのものに技法も形式もあるものか。こういうかんがえ方もあるだろうが、そのかんがえは、二つの点でまちがっているとおもう。第一に、技法や形式の研究なしに、意味のある日記がかきつづけられるほどには、「自分」というものは、えらくないのがふつうである。いろんなくふうをかさねて、「自分」をなだめすかしつつ、あるいははげましつつ、日記というものは、かきつづけられるのである。第二に、「自分」というものは、時間とともに、たちまち「他人」になってしまうものである。形式や技法を無視していたのでは、すぐに、自分でも何のことがかいてあるのか、わからなくなってしまう。日記というものは、時間を異にした「自分」という「他人」との文通である、とかんがえておいたほうがいい。手紙に形式があるように、日記にも形式が必要である。
rashita.iconうん、いいこと書いてある。その他「心の問題にまったくふれない日記」や「自分自身のための、業務報告」という表現もある。
『日記の魔力』(表 三郎 著) はじめにより、
"日記は、「日々の記録」である。それは英語で日記を意味する「diary」という言葉が「daily(日々の)」を語源としていることからもわかる。では、なぜ「日々の記録」をあとで読み返す必要があるのだろうか。それは船乗りの「航海日誌」のようなものを考えてみるとわかりやすい。現在の航海は、レーダーやGPS(全地球測位システム)などさまざまな機器によって、三百六十度、水平線しか見えないような海の上でも自分の現在位置を知ることができる。だが、ほんの百年前までは、海の上で自分の現在位置を知る方法は、夜空の星を見ることしかなかった。日々の星の位置、太陽の昇る方向をきちんと記録し、自らの現在位置を正確に把握していなければ、目的地にたどり着けないどころか、迷子になってしまう。また、アクシデントに見舞われても、その記録をきちんと残していれば、次のときには同じようなアクシデントを回避することもできる。だから、船乗りたちは、どんなズボラな人間でも必ず航海日誌をつけていたのだ。「面倒くさいからやーめた」では通らない。命がかかっているのだ。そんな当時の航海日誌を見ると、そこには「考えたこと」など何も書かれてはいないことがわかる。日々の出来事を、あるがままに、淡々と記録しているだけだ。私は、日記というのは本来こうしたものだと思っている。" http://a.co/iEKXoqh