中国音MAD故事 其一 Ep. 4 — 小狐夜雨一天吃两顿
#中国音MAD故事
https://www.bilibili.com/video/BV1ZzWbzQEEX
whipserで文字起こし⇒ChatGPTにて日本語訳しています。
原文からニュアンスが変わっている可能性がある点に留意ください。
-------------------------
僕は正直、小さいころから自分の性別認知についてあまりはっきりした定義を持ったことがなくて、誰かに分類されることがあまり好きじゃないんです。
みなさんこんにちは。昔はB站で「艾迪飞行总授」と呼ばれていましたが、もう何年も前の話で、今はみんな「张树恒」と呼びます。
YMA(音MAD)に触れたのは、最初は表兄が家に来てB站を見ていたのがきっかけで……年代は忘れたけど、2011年頃かな。最初に見たのは葛炮の銀麻(銀馬?)系の動画で、そのあと「トムとジェリー」系の鬼畜音MADとか、そういうものを見ていって、このジャンルに触れ始めました。
最初はラップ系の鬼畜を作るところから入りました。でも作っていくうちに、あるグループに入って銀麻というものを知り、調音の世界に入っていきました。
当時はVegasで調音するチュートリアルがあって、そのコメント欄に貼られていたグループに入ったのがきっかけです。鬼畜と音MADの違いもよく分かっていなかったけど、「調音ってかっこいいじゃん!」という感じで学び始めました。
ただ、当時は耳もよくなくて音の高低が全然聞き取れなかったので、MIDIファイルと数学的な方法を組み合わせて調音していました。出来はあまりよくありませんでした。
でも、その後グループでいろいろ話したりして、SUB BASSなどのソフトで音を整えてから調整する方法を覚え、ようやくちゃんと音が聞き取れるようになりました。
僕が一番楽しかったのは、2013〜2015年あたり。
BXM協会が主催していた「非凡技」「元首技」みたいなイベントで、再生数も多く、参加者もほぼ全員が上手い人で、その中に混じれたことがすごく嬉しかったです。非凡季ではOPも担当しました。出来は普通だったけど、OPを任せてもらえたのは本当に光栄でした。
その後、静乐团の時期に入った頃には、昔の素材(梁非凡や元首など)があまり流行らなくなり、新しい素材や人力系が主流になっていきました。
周りの仲間はどんどん増え、一緒にゲームをしたり遊んだりして、音MADにこだわらなくても楽しい、と思い始めました。最初は「自分の作品を見てもらいたい」という目的でしたが、友達が増えると「別に無理して作らなくてもいいかな」と思うようになり、音MAD制作は減っていきました。
■「常州牛人」について
敬乐团で、僕が化学の先生とのチャットのスクショを貼ったことがあって、
僕が自分の群名(グループ名)を「谢审和の親媽」にしたのを先生が見て、
「牛人、今度は誰の親媽になったんだ?」って言われたんです。
それをスクショして載せたら「常州牛人」というネタになり、今でもいろんな人にいじられます。
当時、周りがみんな饿俗(いじり合い、罵倒遊び)をしていたので、
「俺も練習しないと!」みたいなノリで、弱そうな相手(叶慧龙)をいじって遊んでいました。
子どもの頃って、意見が合わない相手を無駄に攻撃したりするじゃないですか。
そんな感じで、深い意味はなかったです。
■素材を使われることについて
僕自身は、仲が深くない人にいきなり素材を使われるとあまり好きじゃないけど、
仲良い人が音MADを作ってくれるなら、見に行くし、三連(点赞・投币・收藏)もします。
■自分の一番の代表作
たぶん「常州牛人 还原历表(历年表?)」だと思います。
元々あるネタをもっと広めたい、忘れられたくないと思って作ったものです。
PV系に転向する第一歩でもあり、AEの習熟や後のPV仕事にも繋がる作品でした。
音MADには大きく2つあると思うんです。
1. 音を極限まで使う方向(音MAD/人力VOCALOID的な方向)
2. PVとしての演出を突き詰める方向
僕は後者に向いたんだと思います。
■鬼畜と音MADの違い
どっちも人を楽しませるもの。
音MADは楽器的な調声や編曲が魅力で、
鬼畜は面白いセリフや詞を混ぜて遊ぶのが魅力。
別にどっちが良いとかではありません。
■音MADの「外向け」と「内向け」
音MADはある意味、小規模コミュニティの中で楽しむものだし、
一部の作品は“出圈”(外に広く届ける)こともできる。
どちらもあっていい。
再生数を気にしていた頃もあったけど、
いま振り返ると、一つ一つのコメント・弾幕・投币のほうがよほど大切だと思うようになりました。
■最近見ている作品
最近はKTVで「Zoo」や「I got a smoke」を歌ったり、钉针・电棍関連の作品を見たり。
「象轮椅奔去」(象が車椅子で走っていくネタ)の作品には大きな衝撃を受けました。
作者は良玉。みんなもう知ってるよね。
こういう“庶民化した”音MADが広まるのはすごいことだと思っています。
■最近の制作
たまにソフトを開いて作っています。
日本の面白い素材で「岁月消防」の音MADも作りました。
まだ投稿していなくて、音声だけPCにあります。
字幕も書きかけです。
完全に自分の娯楽として作っている感じです。
■音MADは人生の何%?
僕が20代だとして、年数で言えば4分の1くらい。
比率で言えば、人間関係の比重のほうがずっと大きいです。
■音MADとは何か?
原曲の上に、映像・音声の断片を再構築して編曲し、
映像演出を加えて“別の解釈”を作るもの。
制作者同士の交流の場でもある。
僕はその社交面をかなり重視していました。
■性別認知と家庭の話
僕は性別の定義を押しつけられることがずっと嫌でした。
家では「他の家の子供と比べられる」ことが多かったので、
反発心も強かったのかもしれません。
「綺麗にするなら、せめて似合う格好をしてくれ」
という考えもあって、
“似合わない女装”をしている人を見ると違和感を覚えることもあります。
別に女装に否定的ではなくて、単に「似合ってないのが嫌」という話です。
■精神面の危機について
家庭の問題で精神状態が非常に悪化して、
同じように苦しんでいる人を探して自分を重ねてしまった時期がありました。
あの頃が一番つらかったです。
今はもう落ち着いて、普通の精神状態に戻っています。
でも再発が怖いので、今の生活の形を保っている感じです。
■人間関係
僕は外に友達を作れなくて、本当に学業のストレスが強くて、
家からほとんど出られなかった時期、
コミュニティはほぼ音MADだけでした。
だから僕の“三観”(価値観)は、学校でも家でもなく、
音MADグループの友人たちにかなり影響されて出来ていったと思います。
現実の友達には理解されないことも多かったです。
音MADは5時間作っても何も言われないのに、
CSGOを30分やると怒られる、みたいな。
今は、お互い特に切らず、ゆるく距離を置いている感じです。
いちいち決別を宣言しても面倒なだけなので。
大学を卒業して働いて、適当に生きて、
結局は金のために生きているんだから、
別に大したことでもないだろう、と今は思っています。