中国音MAD故事 其一 Ep. 3 — 黄博美不美
#中国音MAD故事
https://www.bilibili.com/video/BV1Hc4gz2Exx
whipserで文字起こし⇒ChatGPTにて日本語訳しています。
原文からニュアンスが変わっている可能性がある点に留意ください。
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もし音MAD対抗戦を“雪合戦”に例えるなら、
“生音素材をそのまま重ねて使う”のは、
雪球の中に石を入れて投げるようなものだと思っています。
他の参加者に対して不公平だし、意味もない。
みなさんこんにちは、黄渤(ホアンボー)です。今年で30歳。
B站(ビリビリ)では音MAD作者でもあり、搬運工(転載者)でもあります。
最初のB站IDは「黄渤美不美」。
本来は「黄渤、美(いい)、いや、美しくない」という意味でつけたのですが、
みんな「黄渤、美不美(美しい?美しくない?)」と読んでしまい、
そこから「黄博(ホアンボ)」と呼ばれるようになりました。
■鬼畜ブルース「最终鬼畜蓝蓝路」で人生が変わる
僕が初めて見た音MADは、みんなも知っている《最终鬼畜蓝蓝路》。
高校生のとき、優酷で見ました。
見た瞬間、
画面のヤバさ
洗脳されるような音楽
に衝撃を受け、すぐにタブレットに保存して何度も見ていました。
ただ、その時点ではこれが“何のジャンルか”は分かっていませんでした。
■大学でB站を再び触り、鬼畜の沼に落ちる
大学に入ってB站が盛り上がっていた時期。
鬼畜区を見つけて、
「こんなに種類があるんだ!」とワクワクしながら毎日見ていました。
それを見続けるうちに、
「自分でも作れるんじゃないか?」
と思い始めたのがすべての始まりです。
■最初の作品は“音MAD未満の編集動画”
最初にVegasを独学で触って、
梁非凡の素材+「ttttの歌」のBGMで一本作りました。
まだ音MADとは言えず、ただのBGM付き編集動画でした。
そのあと、
郭敬明、保洁黒叔、ドイツのBoyなど、
当時流行っていた素材で何本か作りました。
■“音MADの世界”への入口
ある日、「墨路留森(Mooluson)」というBMatterの人から連絡が来て、
「音MADのグループに入りませんか?」と言われました。
そこから音MADコミュニティに入り、
歴史
素材の由来
制作技術
PVの作り方
調声
先輩のノウハウ
まで、あらゆる情報を吸収しました。
この時期に色んなスタイルの音MADを試し始め、
技術も徐々に身についていきました。
■音MAD制作は「全部が楽しい」
好きな曲を探す
好きな素材を探す
バ谱(音符の割り当て)
調声
PVを滑らかに作る
どの工程も楽しく、
“やっていて幸せなジャンルだな”と思うようになりました。
YouTube・Nicoでもアカウントを作り、
YTPMV中心の作品を出すようになり、
多い時期は「月1投稿」くらいでした。
今では活動歴は11年ほど、
投稿した動画は削除分を含めて100本以上あります。
■僕が“搬運工(転載)”を始めた理由
大学時代はとてもインドアで、B站・YouTube・Nicoを毎日巡回していました。
そのうち、
「昔の搬運者が引退して、良作が埋もれている」
と気付いたんです。
特にYTPMVの良作が無断で放置されているのが惜しくて、
僕も搬運の仕事を始めました。
■音MADは大きく3種
日式 E-MAD
YTPMV
人力ボーカル系(UTAU的な)
僕は完全にYTPMVが好きで、ずっとそのスタイルを続けています。
■YTPMVの一番の楽しさは“原曲を分解すること”
バ谱を取り終えて、
MIDIを組んで、
音が形になったときの達成感が最高です。
ただし昔の僕は、
「原曲にどれだけ似せられるか」
「どれだけ音が滑らかか」
ばかりを追っていて、
完全コピー路線にハマり、制作が苦痛になっていました。
今は逆で、
素材の“ザラつき・生々しさ”を残す
過度な修音をしない
という方向に切り替えています。
完璧を目指すなら“楽器でカバーすればいい”わけで、
音MADならではの粗さを残すべきだと思うからです。
■“生音を混ぜるのはズルい”と思う理由
対抗戦の例をもう一度使うと、
雪球(音MAD)に石(生音素材)を混ぜる=不公平
という感覚があります。
上手い人が“生音そのまま”を入れると、
他の参加者が太刀打ちできない。
それは音MADというゲームのルールを壊してしまう。
■僕に最も影響を与えた作者「斯丹(Sutan)」
国内でもYouTubeでもなく 日本の作者 です。
2009〜2010年頃から投稿していて、
Sutan、亚马斯 など複数の名義を持っていました。
素材の選び方
BGMの選曲
独特のフォーマット
クリエイティブな着想
すべてが“洗練されつつも遊んでいる”感じで、
僕がYTPMVにハマった最大の理由です。
■海鮮市場(海鮮曲)が流行る前と後
2015年12月、Ladybug が Nico に投稿した最初の「沙丁鱼(サーディン)」音MAD
これを僕はB站にも搬運しましたが、当時は無反応でした。
僕はすごく好きだったので、
“作者はSutanの影響を受けているな”と感じていました。
半年後の2016年5月、
僕自身が沙丁鱼の2作目(短版)を作って投稿したら、
2日後からNicoで続々と派生作が出始め、
“海鮮市場ブーム”が一気に始まったんです。
2017〜18年がピーク。
今思うと、僕は最初期の作者で、
少しは火付け役になれたのかなと嬉しくなります。
■搬運工としての「逆輸出」体験
2017年頃、富毛・九弟らが作った「毛利之心」シリーズがあり、
Morning Rescue のCM × 星のカービィ POPSTAR の組み合わせで非常に面白い作品でした。
僕も大量に搬運しました。
すると後に、
日本の作者が僕が付けた**中国語音訳(中文のそれっぽい当て字)**を
そのまま動画内に取り入れて投稿していて、
「逆輸出されてる!」
と驚き、ちょっと嬉しかったです。
■自作動画を大量に消した理由
昔の作品が恥ずかしい(黒歴史)
無断転載だと気付き、倫理的に嫌になった
この二つが大きな理由です。
削除後、他の搬運者が“補党(再アップ)”しまくりました。
ちょっと申し訳ない気持ちになりましたが、
外野の搬運者同士が妙に団結していく様子を見て、
逆に感動もしました。
■最も重要な作品:「Last Battle」合作
老沙(正电子海)が主催した合作で、
桑德・李子・夏残・汤超版滤金 らと一緒に制作したものです。
夏残が体調不良でPVを完成できないというハプニングもありましたが、
非常に思い出深い合作です。
■現在の僕:プログラマーで、既婚で、低活動
2019年に卒業し、深圳の会社でプログラマーに。
その後、福建・福州に引っ越して定住。
今は結婚もして、
生活の中心は完全に 仕事と家庭 です。
音MADは
“3〜5日、あるいは週1でちょっと見る程度”。
搬運も完全に気分次第になりました。
■活動が減った理由
仕事=生活のため
家庭=愛情と安らぎ
音MAD=趣味(優先度は低くなる)
この3つの時間は互いに“食い合う”ので、
どうしても音MADの時間が減ります。
でも今でも
作品を見る
ときどき搬運する
くらいは続けています。
計画としては、
仕事の資格(情報系の高級資格)を取る
未完成の音MADを少しずつ片付ける
という感じです。
■“音MAD制作者はモテない”という偏見について
それは半分偏見で、半分事実かもしれません。
理由は簡単で、
音MAD作者の多くが 学生で、家に引きこもりがちだからです。
恋愛する環境がないだけ。
大学生でも、そもそも恋愛したくない人も多いし、
環境の問題が大きいと思います。
僕から言えるのは:
スマホばかり触らず外に出ろ
旅行しろ
新しいことに挑戦しろ
自信を持て
それだけです。
■鬼畜と音MADの違い
同じ“二次創作”だけど方向性が違う。
鬼畜:
大衆向け
ネタ・笑い・話題性
拡散されやすい
ほとんどの作品が面白い(脳洞が大きい)
音MAD:
自分の満足のために作ることが多い
「技術」や「表現」を重視
質の高い作品は多くないが、刺さると深い
■音MADは「一本の曲を、素材でカバーする」という表現
「曲が好きだから音MADで表現したい」
「素材が好きだから、その気持ちを音MADで表したい」
どちらも“正しい動機”だと思っています。
僕にとって音MADは
“自分の気持ちを素材で表現する遊び”
です。
■音MADは“自分の人生を変えた伴走者”
音MADは僕の 7年間の学生生活に寄り添った存在 で、
たくさんの友達を作ってくれました。
音MADを通して初めて、
楽器の構造
曲の成り立ち
ミキシング
バ谱
旋律分析
など、音楽の世界に深く触れました。
音MADがなければ絶対に知らなかった世界で、
心から感謝しています。