中国音MAD故事 其一 Ep. 1 — FFFanwen
#中国音MAD故事
https://www.bilibili.com/video/BV1x9nBzpExp
whipserで文字起こし⇒ChatGPTにて日本語訳しています。
原文からニュアンスが変わっている可能性がある点に留意ください。
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別にそこまで面白くないんですよ。
多くの音MAD作品って、もっと気軽にふざけてもいいのに、って思います。
みんな僕のことは「梵維(FFFanwen)」って呼びます。
僕が音MAD(E-MOD)を始めたのは2015年です。
名前の由来は単純で、元は「FFF団」みたいなノリの小学生のころの遊びからきていて、
当時のIDが「FAM」だったので、そこから自分で「繁文(梵維)」という名前を作って組み合わせた感じです。
最初に触れたのは鬼畜動画でした。
実況者が古い鬼畜ネタをよく使っていたりして、鬼畜と音MADは繋がりがありますよね。
僕も自然とその界隈に引っ張られて、鬼畜動画を見ていました。
短群とか、そういう有名で広まった作品から入っていきました。
2015年、中考(高校入試)が終わって、
「なにか作ってみよう」と思って音MAD制作を始めました。
音MADの体系的な知識は作り始めてから徐々に勉強したので、最初は完全に鬼畜からの流れでした。
当時、東方にハマっていたこともあり、自然と「音MAD」という存在に辿り着いていきました。
15年に一つ二つ作品を投稿した後、カスタマーサービス動画を出して、
そこから音MADコミュニティにも入り、制作方法や文化について学びました。
■音MADコミュニティに入るということ
音MADに入ると、どうしても“型”に触れるんですよ。
他の人が歩いてきた道が、そのまま自分の前に提示される。
コミュニティに入ると、
音声調整の方法
原曲不使用の遠取アレンジ
AEの使い方
BGA風演出
…みたいな“みんなが学ぶ共通ルート”を自然に辿ることになる。
僕も最初はそのルートを歩きました。
でも16〜17年になった頃、「自分はBGA系がどうにも向いていない」と感じました。
ソフトの問題もあれば、自分の性格の問題もある。
同期の作者はどんどん技術が伸びていって、
コミュニティの「単一的な評価基準」に合わせて作品を作るのが、しんどく感じるようになったんです。
それで僕は「この単一評価を壊すような作品を作りたい」と思うようになりました。
■高校卒業後、やりたい表現へ
高校を卒業すると時間が増えて、自分の表現をもっと試せるようになりました。
SNOW Ultimate(阮种)と知り合ったことも大きかったです。
彼はアイデアが豊富な人で、彼が企画するイベントを僕も小さく支援しながら、
いっしょに活動することが増えました。
今は半引退状態のような感じで、あまり活発ではありません。
■“音MADとは何か”という問い
僕から見ると、多くの人の理解は浅いです。
「音MAD=オタクの悪ふざけ」みたいな意見を真面目に言う人もいる。
ちゃんと考えてないんだろうな、と思います。
音MADは本質的に“ゲーム”に近いんです。
ただしルールが固定されたゲームではなく、“作者が自分でルールを作るゲーム”。
音MADという言葉自体には本質がなく、ただの「空白の箱(スタンドイン)」にすぎない。
そこに何を詰めるかは作者次第で、
作者はそれぞれ「自分の音MAD観=入場券」を持って参加する。
Redditの「r/place」みたいなものです。
誰もが1ドットずつ、巨大な絵を共同で描いていく。
音MADも、ひとつの場所を多くの作者が好きに埋めていく共同作業のようなもの。
だから、「音MADの定義」といったものは本質的に存在しない。
■僕が書いた『陶逸』という文章について
あの文章は、音MADを“定義する”ものではなく、
“これから音MADをどう作っていくか”という宣言です。
「音MADとは何か」ではなく、
「僕が音MADをどう変えていきたいか」を語った文章でした。
音MADは作者の思想の違いによって分岐していく。
それを無理に統一する必要なんてない。
自分がどうしたいか次第で、音MADはどこまでも変化できる。
ゲームが“第九芸術”と呼ばれたいと思って進化していったように、
音MADも「芸術にしたい」と思う人がいれば、その方向に進む。
全部は“やる本人”次第なんです。
■昔出した“解説動画”を消した理由
僕は当時若くて、
「自分の好きなものが評価されないのはおかしい」
と感情的になっていました。
当時は「秦洛瓦禄(久)」という友人がいて、
音MAD関連の概念をよく相談していました。
解説動画を出す前も彼に相談しました。
その動画が炎上しても、僕のアカウント自体は放置状態だったので
「最悪、音MAD辞めてもいい」と思っていたんです。
実際、炎上はしませんでしたが、議論はその動画の内容から離れて、
コメント欄の主張同士の争いみたいになっていきました。
時間が経つと、自分でも動画の内容を見返す気になれず、
幼稚だったと思い、
**“人を誤った方向に誘導したくない”**という理由で削除しました。
無断で再アップされたりしましたが、
自分で消したという行動自体に意味があったと思っています。
■音MADの“歴史”とは何か
音MADの歴史は“客観的な真実”ではなく、
作者がどう語りたいかで形作られるものです。
自分で解釈し、自分の中で“歴史”を補完し、
そこから未来を見出す。
その未来がまた歴史を変えていく。
「未来が過去を決める」みたいな逆転すら起き得る。
そういう不思議さが音MADにはあります。
■僕にとっての音MAD制作
僕が一番影響を受けたのは、実は音MADではなく、
小号に投稿した“唐普旅行剧场”という長篇BB劇場です。
音MADとは違って、
未完成で、完璧でもなく、粗さが残っている。
そういう作品のほうが、かえって心に残る。
“もっとよくできたはず”という気持ちが残る作品のほうが大切なんです。
一番好きなのは、まだ作り終えていない作品。
常に「次」があるから。
■実写を取り入れた理由
BB劇場で実写を使っている人を見て、
「音MADでも実写を使えるんじゃない?」と思って挑戦しました。
今の作者は“後処理(AE)だけ”の人が多くて、
前撮り・撮影・素材生成をあまりしない。
でも実写や現実の生活には、まだ使われていない宝がたくさんある。
だから僕は、
前期制作=素材そのものの創造
をもっと重視したい。
■“内容のある音MAD”へ
最近の音MADは、形式(左右抽・楽器表現など)ではなく、
**“なにを表現したいか”**を重視し始めている。
僕にとって音MADは“切り口”です。
音MADを使えば、
大衆向けジャンルでは扱いにくい内容
議論の分かれるテーマ
を、小さなコミュニティの中で静かに表現できる。
音MADは安全な切り口であり、
そこから自分の影響力を広げていける。
■“影響力”こそが、音MAD作者の財産
音MADを辞める人を見ると、少し残念に思います。
彼らは“趣味”を捨てているのではなく、
自分の影響力を持てる唯一の場を手放しているからです。
小さな界隈ですら、影響力を持つには何年も積み重ねが必要です。
大衆向けジャンル(アニメ・デザイン)は
評価体系が固まりすぎていて、新人が影響力を持つのは難しい。
だからこそ、音MADという小さな場所でも影響を持てることは尊い。
もしこの場を大きくできたら、
その影響力は他ジャンルとも対等になり得る。
それは“恐ろしいほどの可能性”でもあります。
■これから
大学卒業後、日本の学校に進学するつもりでしたが、
コロナで一年延期になり、
今年6月に行くつもりです。
音MADが大規模に作れなくても、
短時間で作れる小作品でもいいし、
誰かに相談されたら話すこともできる。
音MADの未来は、形式より内容へ向かっている。
僕にとって音MADは、
**世界へ切り込むための“刀”**です。
この刀でどこまで切り込めるか。
それが今の僕にとっての音MADです。