観たもの|2024年2月
001|哀れなるものたち(2024年/141分)
002|ジェヴォーダンの獣(2002年/142分)
003|千年女優(2002年/87分)
004|“それ”がいる森(2022年/107分)
005|ゴールデンカムイ実写版(2024年/128分)
006|ヴィーガンズハム(2021年/87分)
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2月4日
哀れなるものたち(2024年/141分)
https://www.youtube.com/watch?v=J9hA1np5i_k
疲弊があるので以下の三つはとりあえずの雑感を書く(ゆえに記述の重複があると思う。申し訳ない)
神(ゴッド)になったので人をヤギにできるようになった/してしまえた終幕と思った。ゼウスの云々を連想したがそんなに関係ないかもしれない(監督がギリシアの方なのと、ロブスターは変身物語ぽいのもあり)。ラストは仏教を連想した。仏教というかブッダ。詳しいわけでないのでたぶん間違っている。奇妙なようで基本はロードムービーの形。セックスは多めだが、多いのでやるうちにアプローチも変容。過去に囚われると破滅するのが基本としてある映画。ベラを旅に連れ出した彼はすこしかわいそうなところもあるが、俗なものがそうでないものに憧れてしまったのがよくない。なってもいいが、生まれ変わるくらいの心境で挑まないと病む(たぶんどちらにせ病む)。家族と出会い(恋愛など)の話だからたぶんみやすい(*1)
デフォー氏とフランケンシュタイン博士は父として立ち回れたか否かが差異になるだろうか。ここでいう家族は「ふぁみりー」であって血縁ではない(テキトーなとりあえずの感想なのでおゆるし)。銃振り回し元夫は銃がただのペニスという感じで横暴というか暴力野郎としてひらすら振舞っていたのが〇。そらあヤギにもなる。この身がうけた仕打ちのすべてを母子で倍にして返す形だし🍃🐐<ベエェェェェェェエェェ!!!!!!!!
劇中の街並みが、カメラの撮り方由来で「セット」めいた見え方をするのが良い。チープというわけでなく『はじめてみるベラにとっては街並みがこのように見えている』描写に思う。大人の体を有して生まれた赤ん坊、少女であるベラが成長してゆく、肉体と精神を合致させ大人になるまでの話。この場合の人間は、人間をやれるようになるということで、ベラ自体が人間になるというわけではない。人間ではあるのだが、人間のいろいろを観察した挙句にそれを自分でも行使できるようになった、心と身体を合致させて、どうすればどう動くかを意識してその通りにできる存在になった、のニュアンスだと思う。大人の身体になったからこれらができるようになるわけではなく。大人として振舞うべき精神性を確立したから可能になる、というもの。この映画は特異な状況を用いてひたすら普遍をやっている。それが魅力。少女が外へ旅に出て、大人になって、親の死に目に帰ってきて、神(GOD/あらたなヌシ/領地の長)になる。
ぼくはすきだが、人によっては着地ゆえ「もっとどこかへ飛んでほしかった(帰ってこないで可能性の果てへ向かってほしかった)」と思う場合があるかもしれない。不思議な映画ではあるが、ゆえのたのしさがある。おすすめ。
*1 恋愛など、と書いたが、「哀れなるものたち」は別に恋愛の話ではなく、人間の姿かたちをとらえてゆくうえで、人間側からすると「恋愛と捉えられるもの」がある、くらいのニュアンスがたぶん近い。「執着」つまりは「諦め」とどう向き合うかの話と思う(人間における)
ジェヴォーダンの獣(2002年/142分)
https://www.youtube.com/watch?v=HabxlG1zlHY
西部劇ないし時代劇的な雰囲気ではじまり、「ジェヴォーダンの獣」を題材とした中世ミステリもの、と思わせておいて、途中から一気にモンスターパニック映画の味となり(ジョーズなどの)、カンフー映画のアクション感もあり、気が付けば最後にはガリアンソードで武侠ものでわー!………という景色に到達する。「どういう映画ですか」と聞かれたときに一言で説明しにくいというか、これほどたくさんの味のするものはなかなかない。藤田和日郎氏の漫画(特に短篇集)がすきならいけると個人的には思う(ばね足ジャックとか)。劇中に出てくるロン毛の兄さんが終始セクシーで、それを眺めているだけでもたのしい。ガジェットも凝っていて、いろいろの銃や武器がしっかり登場するのもおもしろい。個人的には正直、冒頭の雰囲気まま最後まで到達した場合の景色を目撃したかったが(獣による連続殺人事件を解き明かしにきた二者、ホームズとワトソンという風な)、絵としてその都度あるべきものを撮ろうとしている映画に感じた。後半にゆくにつれてどんどんB旧映画めいた感じになってゆくのだが、この映画ひとつでフルコース料理をたのしめる組み方とも思う。わーっとたのしむのがすきな方におすすめ(*1)
*1 新聞連載小説を連載時の体裁まま読むとこういう味かも。ダレがダレのまま映像として残っているのだけ難点(くだりとしては必要だが絵としてはカットしていいもの)。とはいえアクションがたのしいので、一昔前の少年漫画のノリが大丈夫ならいける。ただ、やはり個人的には100分ないし120分がベストの映画だと思う。後半のノリ的にも。
千年女優(2002年/87分)
https://www.youtube.com/watch?v=LrhdG9KkzGc
映画でフラクタル構造をやろうとするとこうなる、という映画だった。どこまでも繰り返してゆくというお話の積み重ね方に対してどう挑みかかるかが大事に思う。映画として目撃するというよりは、ずうっと同じ話をした挙句にひとつの景色へたどり着いて、さらにその先にある景色のことを夢想する、つまり映画から現実の我々も含めてでこの反復、繰り返しが影響を及ぼしてゆくことをどう思うか、な気がする。結果的に観客が作劇の中に巻き込まれているという意味では、どちらかというと劇作的なつくりをしているようにも思う。ひとつ注意してほしいのは、映画のつくりとしてはかなり特殊なため、映画らしい構成にあてはめつつ目撃すると受け取りがとにかくすべる、ということ。
ただこの「すべり」はかなり意図的で、制御されたもので、だからこそわたしたちの目には違和感としてちゃんと映る、そういうものになっている。それを構成できているのがそもそもすごいという話である。同じことをひたすら繰り返す、同じ話しかずうっとしない、その挙句にやってくるのがひとつ、画面の向こうへの出発、旅立ち。内容的に近しいものは存外ウェスアンダーソンさんの「アステロイドシティ」なんかがそうかもしれない。あれも基本、終始おなじ話を僕らに向けて行っている。ここでいう同じ話は絵として示されるもののこと。
けれども明確に違うのは、ウェスアンダーソン氏の映画はかなり枠組みを「立てて」組んでおり、今敏監督の先年女優は枠組みを「あいまい」にしているところだろうか。と考えると、映画として属する場所が近しい二者ではあるものの、観客へ向けてやろうとしていることつまりは巻き込み方が、この映画とアステロイドシティではまったく異なるような気がする。愛嬌をもって語り、観るものをこちらへいれこむものと、みるものに混乱を与えることで、知らぬ間に巻き込まれているものと。虚構と現実への向き合いは、ひとそれぞれの死生観に由来したものがでるのかなと、ぼんやり感じた。書きなぐりの文章なので、間違いがあるかもしれない。申し訳ない。
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2月24日
“それ”がいる森(2022年/107分)
https://www.youtube.com/watch?v=Bp6Sv0nS7Y8
リング等を撮られた中田秀夫監督の映画。最近の中田秀夫さんはホラーよりもB級テイストの作品を主で撮られているが、これもそれらとおなじくで、かなりのB級味がする。というかそこを通り過ぎてZ級になっている。正直言って映画としての完成度はいまいち。「それ」の正体は正体でぶっちゃけなんでもよいのだが、とにもかくにも全体を通して雑なのがいただけない。撮りたいシーンとそんなでもないシーンが創作者さんや監督さんにはあるかもしれないが、この映画はそのあたりが露骨に見分けられるようになっている。かつ撮りたいであろうくだりがただのテンプレでおもしろくないから困る。
中田秀夫さんはリングの頃から、個人的には「平易に撮る方」のイメージがあるのだが、それもあってか映画としては最後までみれる形になっている。なってしまうのが問題だと思う(*1)。形をつくれてしまうせいで映画になってしまったもの、それがこの映画「それがいる森」だとぼくは感じる。映画じゃない撮り方だとか、そういうあたりが未熟なまま熱量だけで撮られたものが世の中にはあり、それらはそれらなりのダメなところを有しつつも見どころがあるからたのしいのであって、なにもかもがただ「形になる」ならそれはもう味のしない無、無のなんらかである。比較するようで申し訳ないが「大怪獣のあとしまつ」のほうが味がする映画で、こちらの映画はそうした味すらよくわからない事態がある。
結局なにを撮りたかったのか、したかったのか。「それ」の話をしたかったからそうしたのだろうとは思うが、はたしてそれは100分かけて映画にするべきものだったのか。それがいる森を観たあげくのわたしはいろいろのことを脳内で思う(*2)。映画として、もうすこしよくしようと思えばなんとなく「こうしたほうがよかったのでは」と浮かぶ云々はあるものの、それを訂正したところで凡なものは凡である。けれどもその「凡であること」がよい方向に向くことも勿論あり、結局これは「どこでどういう仕事を果たしたか」という事柄にしかならないと思う。平易に撮れる方は結局のところ、やりようによってはものを撮れる方であるということなので、おもしろさが精査された挙句のものをわーっと撮ってほしく思う(*3)
しかし中田秀夫監督は、果たすべき仕事を果たしたのか。一個人に対してこういう問いかけをするのは正直よくないし、「これをやってくれ」「あれをやってくれ」「あの人を出してくれ」「その人に対してそういう描写はNG」など、いろいろなしがらみの中で作品を撮られたのだとは思うが、さすがにこの映画で行われていた「それ」の描写は、恐怖の描写としてはまったく成立していなかった気がする。他の映画の名前を出したくないが、「デストイレ」や「シャーケンシュタイン」など、Z級映画として魅力的な映画はこれのほかにもっとある。できればそっちを観たほうがいい。Z映画としては(*4)
*1 画に癖がある方でなく、誰でもみやすい絵を撮れる。それがよかったのが「リング」であり「ほの暗い水の底から」と思う。以降の基本になったせいで新規性がなく感じられる、ということなのかもしれないが。
*2 言葉が強くなってしまったが、「~べき」は個人的に思う指針でしかなく、どんなもので「~べきではない」という事象には反抗していい。けれどもその挙句に撮られたものがおもしろいかおもしろくないか、趣味に合うか合わないかの感覚感想はどうしても生じる。そればかりは致し方ない。
*3 成立していなくてもおもしろいものはおもしろいし、ネタとして落とせる場合があるため、一長一短。
*4 ゲテモノとして観るなら止めないが、撮り方がまともである以上、ゲテモノとしても半端なので(その点あとしまつは監督さんの味がちゃんとするので、味の好みは別として挑みかかる価値はある)
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2月21日
機動戦士ガンダムSEED FREEDOM(2024年/124分)
https://www.youtube.com/watch?v=JLPZ9uzyas0
おもしろかった。この映画をみるためにテレビシリーズ全話を観返すだとか、そういうことをしたわけではないのだけれど、なんにしてもたのしめた。10代のころの記憶と思い出を頼りに内容を追いかけたが、それだけでも充分に理解することができたのでよかった。あるとすれば「ディスティニープランがどういうものだったか」を振り返っておくとよいくらい。
映画の内容としてはいろいろな感想があるだろうが、個人的にはドラゴンボール夏休み劇場版の味が近しかったと思っている。「今回の敵はこういうもので」「こういう理由付けがあって」「こういうピンチに陥るが」「こういう打破兆候が生じて」「こういう新技で相手を打破します」の流れが似通っている気はする。エンタメ劇場作品の王道展開というか味付けと言ってしまえばそれまで、なのやもしれないが、これらがお話の背骨として存在するからこそ作品が作品として自由になれるとも思う。結局は突き詰めてゆくと「どうファイトするか/どうファイトに至るか」なので。
https://www.youtube.com/watch?v=u2veNvmDnLg
この曲があの場面で流れ出したときは正直言って「やりすぎだぜ」と思った(かなりの決めポーズをしているので)ドラゴンボールで悟空が新形態になった時と同じ味がします。ガンダムでその「やりすぎだぜ」を味わえたという意味でとてもよかった。いうて富野さんのガンダムでもオカルトがわーっとなるわけで。それを福田さんがやるとこうなる、のかもしれない。
https://gyazo.com/54cf80610a21620f7200b544c2f79a59
最早こう。
https://gyazo.com/22a1ee966f9685b25b31a44f1bd7787e
ないしはこう。
https://gyazo.com/2d930c003560470428fbfdce08246474
アスランはアスランでわりとこう。
後年お笑い担当になっていったあたりもどこか共通している。
劇中シークだと、一方的に殴るのと、ラストの真っ向勝負でのやり口がすき。
ずっとスタンバってるだけでおもしろい男になっててよかった。
メイリンが万能すぎたのも〇。
エンディング曲が潔く「最後に歌うよ」からはじまるのもすき。
https://www.youtube.com/watch?v=Jtx8NNYy8Ao
なんにしてもいままでのキャラクターがわーっと出てくる映画。
よいお祭り映画だった。
https://gyazo.com/a0a5a46ea7e1d9e37a82e6d73ebdd00d https://gyazo.com/051a4a87c217940aeaf1b1b5976c2d3e https://gyazo.com/1fcabfa9947cdd6cbba467ec19295309
しかしこう、なんというか対抗勢力がいかにもな「敵です!」の表情をしすぎておられる(端的な紹介は大事ではある)
ゴールデンカムイ実写版(2024年/128分)
https://www.youtube.com/watch?v=2loIAVv7GYQ
言及がむずかしいのだが、かなり丁寧につくられている映画だと思った。映画というよりは、2時間で漫画の描写をしっかり起こすのに徹底したなにかだと感じた。ドラマ的な構成と思う。実際このあと、WOWOWでドラマが放映されることが発表されたため、「この映画はドラマ3、4話ぶんを映画として上映したものだったのか」という理解を得た。みながらずうっと頭をひねっていた事柄が納得に変わった(映画としてやるには話の進みがたっぷりすぎないか、と思っていたため)
原作再現という概念にたいして思うことがあるとすれば、「メディアが変わるならそれに応じたアプローチがあるだろう」という気持ちが強く出る。だから、よく言われる「原作通りにやってほしい」のニュアンスがわかるときとわからないときがある。原作通りにやるとは、見た目や絵を完コピすることではないと個人的には思う。どちらかというとわたしの思う「原作通り(というかリスペクト)」は、「映画として面白く組んだうえで、エッセンスをしっかり出しているもの」だと感じる。だからそこで発生するのは「映画にするための改変」で、「漫画と同じ通りにだけ映像を映す」は違うと思う。
それでいうとゴールデンカムイの実写は後者よりなのだが、後者よりだがシーンによってはバッチリはまるときがある、みたいなバランスと味がある。このあたりかなり奇妙な塩梅で、「漫画を映像として映す」映画のようではあるのだが、「撮られている監督ゆえの凝り」がある映画とも思う。無味無臭のなにかかというとまったくそんなことはなく、全編通して映像から、ひたすらMVをやろうとしている味がする、と感じる。個人的にこの撮り方は、秒数の短い作品であればバッチリはまると思うもので、だから、二時間尺映画でこれをやると、毎回おなじシーン撮り(短い映像作品なら効果を発揮する撮り方)ゆえに少々胃もたれが発生する。
かなり意図的に、カメラが上から下に降りてきたり、なめるように対象を撮ったり、アクションをワンカットで、疑似360°で映そうとしていたりする。けれどもそれをやって楽しいのはたぶんCMやMVなどというワンシーン特化の作品で、だからたぶん映画として、かつ少人数がわちゃわちゃする映像には不向きなのではないかと思う。思うのだが、その映像感でやることにより、逆に見易さが発生しているようにも感じる。とにかくわかりやすいのである。この映画はそのあたりがとかく丁寧で、どれだけ初見の方であれ理解できるようになっている。劇中でわからない文言が出てきたときの説明もしっかりはいるし、それによって映画的テンポが悪くなることよりも、とにかく「相手に伝わること」を大事にしている映画と感じた。だから映画に慣れている人からすると「なんでそこまで映すねん」とたぶんなるのだけれど、漫画からはじめて映画を観にゆく人からすれば「ここには漫画で読んだ映像がすべてある」となるのではないかと思う。個人的にはそれもあって、観方がわからなくなったというか、実験作品的側面もあるのではないか、とすこし思った。
そういう意味でこの、「とにかくわかりやすく組む」「映画的テンポやもってゆきよりも意味が伝わるようにする」をやっているゴールデンカムイ実写は、「原作通りにやる」という事象のひとつ、まっとうなやり口のものを僕らに示しているのかもしれない。撮り方こそMV的ではあるが、映像として丁寧にやれるだけやったらこうなるぜ、という味なので、とにかく。個人的には二階堂兄弟がすきだった映画。あの方だけ映画の中で雰囲気がおかしい。そのまま出てきた感がものすごくあるので、そこを眺めにゆくためだけに観に行くのは実際おすすめ(*1)
*1 ないしは映画主題歌であるACIDMANさんの「輝けるもの」を聞きにゆくためだけ、など。シンウルトラマンなんかも個人的には部類が近しいっちゃ近しい気はする(映画の内容がわからなくても主題歌でしんみりするというか)。このあたりは観賞される方がどういうものをフォローしているか/リスペクトしているか、次第になるかなと感じる。
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2月29日
ヴィーガンズハム(2021年/87分)
https://www.youtube.com/watch?v=vYH3ZRR44vs
同時視聴でみた。店をぐちゃぐちゃにしたヴィーガンさんをハムにしてしまった肉屋のお話。肉屋版スウィーニートッドみたいな感じといえばよいだろうか。けれどもここにあるのはコミカルななにかで、ブラックジョーク(とはいえ、正直言ってしっかり怒られが発生するタイプのやつも多い)を交えつつわーっとやっている。だから映画のノリが合う人と合わない人が明確にいそう。個人的にはたのしくみたが、ひやひやするところもあったので観賞の際は注意してほしい。
87分とみじかめなので、映画として少々停滞してもさくさくみれるのがよいところ。いやこの映画は停滞することは正直なく、終始なにかにちょっかいをかけ続けている映画なので、その言及感とノリがあえばずうっとたのしくみれると思う。ちょっと気の弱いシンジくんみたいなこだわりの強い肉屋の店主と、自分では手をくださずひたすら気の弱い主人をノせてヴィーガンをハムにする道筋を示し続けるミサトさんというかアスカというかわざわざなにかに例える必要はない終始ノリノリの奥さんというお二方。この二人がどんどんと、「明日の夕食どうする?」というテンションで人間を狩ってゆくのがよい映画。暴力というか冷たさを感じられる作品だろうとは思う(ギャップ)
奥さんはたぶん、劇中でみていた犯罪特集を眺めるくらいのテンションで夫に殺人を犯させていたんじゃなかろうかという気はする。実際劇中でのおくさまは、夫がそうなるよう焚きつけておけば、失敗さえしなければ、どこまでもおいしいヴィーガンのハムにありつけるし、生活は活き活きしてくるしで、夫は自責こそあるやもだがやめる理由がひとつもないのだ。最終的に二者の犯した悪行は世間にバレ、自分のみていた番組で特集される側になってしまうのだけれど、そういう生活をしたこと自体は後悔していないのだろうと思う。続けられなくなったことを悔やんでいると思う。
ラストのセリフなんかがそうで、彼をやる択をとっていなかったらよかったと、もっと相応しい、ハムになるべきヴィーガンがいたよなと、そういう後悔のシーンに感じた。実際フランスで起きている事態や起こった事象(*1)をいじってくるので、そこがしんどくない限りは観てほしい映画に思う。個人的にいちばんすきなシーンは、ヴィーガンさんのフェスにいって、夫がふくよかな男の子をみて「あまりのうまそうな肉」加減にうっとりしてしまうところと、坂の上で献立の相談をしながら人間を殺すところ。すきなシーンは間違いなくあったので、個人的にはよかった。一緒にみた方々がたのしんでいたのもよかった。
*1 環境活動家さんの云々や「シャルリー・エブド襲撃事件」に準ずる云々。なのでこう、うまくいえないが、観れる人はみるとよいと思う。としか言えない。個人的にあの表紙云々の事象はかなり冒涜的(ないしは向きとしては低俗)だと感じる。風刺とは違うなにかというか。風刺をわからない人間がなにかを言えるわけもないのだが。