第一回きつね童貞文学大賞|感想置場(その1)
ただの書きなぐりなので、読みものではないと感じます。
申し訳ないです。
読む場合は、ぼちぼちで読んでくださると幸いです。
第一回きつね童貞文学大賞|主催者:狐
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作品リスト
001|二人で踊りましょう/姫路りしゅう
002|火と僕とサセ子と/惣山沙樹
003|どうしようもない/惟風
004|俺はAV女優、鏡シュラが好きだ/木船田ヒロマル
005|童貞珠/尾八原ジュージ
006|ボクは童貞という存在を知らない/金沢出流
007|あなたのヴァンパイア/鍵崎佐吉
008|リロードとシャッガァーン/神崎 ひなた
009|けもの/秋永真琴
010|Andante/狐
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二人で踊りましょう/姫路りしゅう
大学生の話だった。ぼくは大学にいったことがないのでぼんやりとした理解になるが、サークルでワイワイする雰囲気を疑似体験した気がする。お話としては、気になってた女の子に自分の気持ちを伝えるか伝えないかで延々と悩んでいたら、そもそもその子はサークルのにいやんと関係を有していて、しかもそれを、自分が気持ちを伝えようとぼんやり決意した日に知るという、うまくいえないが王道コードをやっているBSS小説だった気がする。全然詳しいわけではないので間違っていたら申し訳ないのだが、BSSの基本を知りたかったらとりあえずこれを読めばいいのかもしれない。そこまでの思い出は思い出で、後日談的にそのすきだった女の子を、そのあと付き合った女の子に幻視している動作感も童貞ぽい?のだろうか。そういう読み物に触れていないなりになるほどなあとなった短編だった。構成が明確なのでとにかく読みやすいのがよかった。相手のことを知りたいと思いつつ、なにかの状態になった途端に身を引くあたりに童貞力(どうていちから)があるのかもしれない。
火と僕とサセ子と/惣山沙樹
すきな小説だった。喪失することによって変化することに期待を抱きすぎているあたりに童貞力(どうていちから)を感じた。文章として淡々と事象が描かれてゆくのが個人的に好みで、その文章感の中で主人公のみてくれや性格やものの考え方があらわになってゆくのがたのしかった。ひどい男のようにみえる。が、なにかに一点集中して、あるかわからないものに夢をみてずうっと待ち続けている根気自体は買ってよいのかもしれない(実生活に生きるのかはわからないが)。それらの場面はどことなく「ゴドーを待ちながら」的だと思った。ただ待つという行為と、そこからラストへの至りにはやはりどこか不条理劇的な味があったと思う。彼のいう「穴に入れるだけ」というのがほんとうなら、それはもう風俗であるとか、そういうところへいって健全にすませればよいことなのに、なぜか彼はそうではなく、あくまでも「自然にあるもの」に対してアプローチをかけようとする。ものに対しての見方がピュアというか自然主義的なところがあるようにも感じる。が、ここでいう自然はあくまで「現象」的なもので、彼が行使したい事象のなかに「異性との会話や関わり」はない。あくまでも「棒」と「穴」の話で、それで完結すると考えている。それがよいと思う。
ラストの事象云々で、彼の行おうとしていた期待はすべて裏切られるわけだが、そも、これはどう考えてもそうなる確率の高いものでしかなかったはずである(彼はそこにある現象を求めており、遭遇後をまったく考えていない)。が、彼はそれにこそ確実をみていたし、現実という幻想をみていた。なぜならそれは「そこにあるもの」で、おそらくお金を払って行う事態は「人工物」なのだと思う。恋愛をしたいわけではないし、性交渉だけを行いたいが、それを自分から受け入れにいくことをしない。したくあい。あくまでも相手が容認する、自分と遭遇し自分を現象で包もうとする自然存在であるからこそ、物事を果たせると考えている気がした。けれどもそのあたりの云々も、彼女の部屋へいったところで瓦解してゆく。その象徴が「血」だと思った。この場面の演出もあって、ぼくは全体の映像のイメージが白黒映画的になり、かつこの場面の血にだけ赤い色がついていると思った。文章の雰囲気もあいまってかなりぐいぐいと読まされた気がしている。
思った通りにならない末路。このあたりの、実態を伴わぬ計画性が童貞力なのかもしれないし、何度も失敗をする最初のなにかでしかないもの、と思う。このタイプの人間は、なにか別のやり口を見つけた途端にそれで果たすべきことを果たすのかもしれない。が、動作としてのこだわりが強いかつ、対価というものを払ってまでするものではないと考えているあたりに彼の七面倒くさいプライドが出ていると思ったし、逆に愛らしくも感じた。どうしようもないときのもどかしさは、淡々と読むとかわいくみえてくる、と思う。行為を果たそうとする考え方自体、どことなく子供らしい側面があり、子供が急に思い立って遠くの土地へ冒険しようとするときめいた味があった。だからこそ帰り道がわからなくなるし、悲観に暮れるのだと思う。ちょうどよい文章で、ぱっと終わるのがすきだった。
どうしようもない/惟風
最後までよんで最初に思った感想が「主催の狐さんが被弾しそうな小説」というものだった。構成がよくできていて、入り組んだ心理感情を描いているのにさっくり読めるのがとてもよかった。脳内に構築した彼女に対する妄想、イメージがあまりにも先行しすぎた挙句、いざ実在の彼女とあったときにあまりにも情報が多すぎて結果穢れてしまう、という事象がこの文字数で端的にしっかり描かれていたと感じる。勝手に期待をして、勝手に幻滅して、勝手に自分の思考を反省する、というのをしっかりやっている小説。いまのところ個人的にはいちばん童貞を感じた一篇。
俺はAV女優、鏡シュラが好きだ/木船田ヒロマル
主人公の口調がハードボイルド小説風なのがギャップになっている小説。しかもそのハードボイルド風の口調が、固いというよりは痛々しい方向性なのが独特の味とかおりを生みだしている。このあたりはたぶんかなり意図的にそうされている印象を受ける。体感としては痛々しいはてな匿名ダイアリー的なノリの文章なのかも。と考えるとこの文章は、書き込んだ当人なりに読み物として「自分の事象」を書いている文章を想定しているのかなと感じた。あえて大業、かつ不安定でどっちつかずな言い回しを用いることで、結果的に自分の話をしている自分というものを滑稽ないしは遠い位置に置こうとしているのかもしれない。そのあたりに童貞性がある、という小説組な気がする。尤もらしい語り口だがしゃべっている内容はどこまでも個人的でしょうもない実感の話に終始するのがおもしろくもあり、おもしろくとることそれ自体がどうなのかという話なのかも。文章に読み手が反応し、それをどこかへ書き込み発信することで成立するなにかと思う。劇中ラストのパンツは、洗濯機に放り込む前に洗ったほうがいいとは思う(たぶんえらいことになるので)
童貞珠/尾八原ジュージ
おもしろかった。今昔物語とかの昔話風に物語がすすんでゆくのだけれど、その中でひたすらに童貞の主人公がわーっとしているのがたのしい。かつそれがあからさまではなくて、淡々と飲み込みやすい文章でやってくるものだからどこまでも先へゆけてしまう。文章がすごい。おかしい事柄しかそこにないはずなのにグングン読み進められてしまう。このあたりも今昔物語の現代語訳を読んだ時の感覚と近い(福永武彦さんが訳されたやつを読んだときと近い心境に陥った。読みやすさと展開のパワーとシュールさがぐわっと攻め入ってくる感じ)。 最初から最後までしっかりわらえたので、小噺としてちょうどよかった。走り出すところと、童貞珠が清らかな童貞から生成されることをとにかく説明してくる文章の連続がすき。童貞性云々関係なしに、個人的にかなりすきだった一篇。
ボクは童貞という存在を知らない/金沢出流
実体験をもとにした小説と感じた。語り口的にも、作者さんそのものがそこにいると感じた。個人的には最終版の、童貞でなくなる以前以後の部分のやりとりを受け取ってみたかったけれど、語りの導入としてお聞きするならこのくらいがちょうどいいのかもしれない。カクヨム的なむずかしさもあると思うのでこのあたりすこし悩ましかった。作品としてはかぐや姫というか、無理難題を押しつけられた少年と、それをみて楽しんでいる女性のお話としてのおもしろさがあった。語り口はすきで、このくらいさらっと過去の体験を喋ってくれるほうがよいと思う。じめじめしているのもそれはそれでありだけれど、からっとしているからこその、記憶としての遠さというか「かつて」を感じられる気がするので。かつてを語るものとして、語る当人の、その記憶に対しての距離の感覚が個人的にはすきだった。
あなたのヴァンパイア/鍵崎佐吉
異性の友達だった女子とそういう雰囲気になり、セックスをする状況になるが―――というお話。最初から半ばくらいまでは実体験手記風なのだけれど、途中でゲームの要素が出てきたあたりから、かなり印象ががらっと変わった。異界が男の脳内思考に這入り込んできている印象を受けた。これはたぶん、主人公の心がどこかへ飛躍してしまい、別のことを主として考えつつ目の前の事象に判断をくだそうとしているゆえのものと思う。その、別のなにかが脳内に過ることで、幻想というか、酩酊をしていた自分が自分自身に、勝手に終わりを宣告してくるというのがこのお話と思う。結局のところ当人は当人の判断ばかりが脳内にあって、相手の心理をくみ取るくみ取らないの状況にまったく至っていないというあたりに、個人的には童貞を感じた。それが良さだと思った。悪手とかそういうことではなく、とにかく対話をしているのが自分自身のみであるというあたりが大事なのだと思う。若気の至りがあるとして、その至りの果てにまで想起を向かわせてしまうのは、彼が真面目さを良くも悪くも有しているからかなと思った。人物としての、事象の見据をどう描くか、が大事なのかなと感じた。
リロードとシャッガァーン/神崎 ひなた
ご夫婦の話だった。結婚したのにセックスをすることを恐れている主人公をその気にさせたく、結果苦肉の策として奥様がだんなさんのおきんたまを「しゃっがーん」といいながらもむ(装填する)という話で、これだけ書くとどういうことなのだ、とはなるが、あるのはどこかほほえましいやさしさだった気がする。絵的にはなにか、やわらかい絵の漫画かアニメで再生される部類のやつで、実際、5分か10分のアニメで眺めたいなにかだなと思った。漫画的な作劇のようで、けれどもアニメアニメしすぎていないのがよかったと思う。合間合間にはさまれる杉田智和さんの声が脳内で再生されるのだが、それがはいるタイミングが毎回とてもちょうどよいのがよく考えられているなと思った。これがあることで章が変わったのがわかるし、調子がつく。起承転結の起点として「しゃっがーん」がきちんといきているあたり、すこし変なお話のようで、お話を組むことをよくわかっている方が書かれたお話と思った。童貞のお話というよりは、かわいらしい夫婦のお話として読んだ。
けもの/秋永真琴
絵描きのにいやんのお話だった。憧れだった先輩に追いつくために描いていたし、認められることでその女性の大切な存在になろうと、言葉を伝えようと思っていたのにあっさり先輩は絵を描くのをやめてしまい、それに怒っている彼というもの。それがすっと書かれていた。すべてが、言葉らしい言葉を発しなかった(最後のほうで先輩に対してつきつけてはいるものの)ゆえのものであるのに、勝手に期待をして勝手に裏切られている、心象のこじらせが、この文字数の中でしっかり描かれていたように感じる。これはたぶん、文章の紡がれ方がよいからこそこうなっている気がした。なにかに取り憑かれたようにしてなにかをやるというのは実際こういうもので、このころだからこその無責任さが先輩のキャラクターであり表情としての良さを纏わせていると思った。あっけらかんとしているというか、実はからっぽというか。なにかに自分を没頭させることができる方だからこそ、逆に執着もなくすっと辞めてしまえるのだろうとも感じる。物に対するしがみつき方の違いが、結果的に主人公にとっては苦痛だった、という風に感じた。自分がこういう懸命さで挑むからには、対抗意識を向けるものにもしっかりと応じてほしい、という。けれどもそれはあくまで理想なので、突然そこが瓦解したときにはどうにもならないという(かつたぶん、そうはならないときのほうが多いのが、生きることともなる)。自分本位であるからこそ上達したし、嫉妬をするし、受け取って貰うはずの場所がなくなって苦しむお話、と思った。お若いとき特有の衝動がしっかり描かれていた気がする。
Andante/狐
しっかりと読みとけたわけではなく、かつたぶんこの小説は解釈の話をしはじめるとどうしようもなくなる気がしておりなんともなのだが、なんにしてもつよい力のある小説だったと感じる。拗らせた心境を拗らせたときの状況と心境のまま淡々とどこか煌びやかな感覚を纏いつつ語ってゆく、語ってゆくうちにそれはあくまでも独りよがりな感情である、ということに自覚的になり(けれども自覚的でありながら不明でもある、というのがよい)、そこで一時、小説というよりは「吐露」になって形が崩壊する(作者と小説が融解してまぜこぜになる)のがよいと思った(と同時に、ゆえに強さをゆうするが、難読のものになっているとも感じる。ここでいう「難読」は、さまざまな解釈が発生してしまう(あえて解釈をするならば)のニュアンス)。だからこれについて語るときに発生するのは、小説の出来不出来のことではなくて、この、強烈な圧を、読んだ側はどう思ったか。感銘を受けたかまったくもってわからなかったか、という反応だけがあるような気がしている(これはあくまでも発露の話で、小説の構成だとかそういうのが悪いわけではない。むしろ構成はかなりしっかりしており、だからこその、という感じ)
三回目の告白のシーンで、受け入れられたという事実だけを強く認識して、けれどもその言葉としては実際のところ、関係がなにも変わらないだろうとしか云っていない。云っていないがそれを受け入れられたことがうれしく、関係が変わったと考えている彼、というのがとにかく、心象としての理路が別のところにある印象をうける造形になっている。告白を三回した挙げ句に受け入れて貰った、ゲームで勝った、きっかけはなんでもよいのに、きっかけのあとにあるものがものすごく肥大しており、返答されたからには「その肥大したものぜんぶを向けていってもいい(次第に、は一応つくと思う)」になっているのが、浮かれはあるとは思いつつも個人的にはズレを感じた。読めば読むほど結局、これは主人公の心象をどう受け取るかというか、理解するかというか、肯定するか、ができないことには身をいれられないものなのかもしれない。逆にいうと身をいれる必要はなくて、語り手のいう諸々にまったくもってのれない、というなにかになるのが良い気もする。そういうなにかを読ませて貰っている、目撃させて貰っている、ないしは、かつては自分もそういうものを有していた年齢時期があり、つまりこれはその当時の自分、「変わり/忘れてしまった自分」そのものをみせられている。故に「わからない」になる。のかもしれない。
独白が基本的に極まっているのだが、文言が極まっている結果として、どのくらい語り手の心象が乗っているのかを図りかねる感じになっているのが面白い気がした。これがあるので、小説としては、自分のボルテージをおなじところに保ってこないといけないなにかになっていると思う。小説はみんなそうだが、このくらいなにか文章に圧を込められるという意味で、これはちゃんと純の文学をやっているのではないか、現在の言葉で文学をやっているなにか、気取りも含めての痛々しさがあるからこそのなにか、と思った。計算されているのかもしれないが、当人が計算として盛り込むないしは削る、構成としてそうした、という結果として、けれども景色の混乱が発生しているのがこのお話と思う(なぜならばそれらの工夫は、自分の思考や視点についての云々を説明するためのもので、けれども説明するにあたっての補助が、「はたしてそれは補助としてあるものなのだろうか(と感じるかもしれないが当人にとっては絶対的な補助である)」になっている、のかも)
だからこそ読めるというか、かみ砕いているはずなのだが迷い込む感があるのは、形自体はしっかり小説を組もうとしているからと思う。あくまでも個人的な感想で、誤読もあるとは思うのだけれどこの極まりがあるので、やはり個人的にはどこか、ホラーめいた質感というか景色を、すこし感じる(それが悪いわけではなくて、あくまでも感覚的なもの)。言葉として変になるので申し訳ないのだが(作者に対する文言ではないことを前提としてほしい)底なし沼(つまりは非・人間存在)に愛された相手ないし、祠のミズチが見定めた彼女(贄ないしは、自分の世話をしてくれるもの/存在)への恋慕と成就感情。けれどもそれを行うことは、彼女を一種「死」に近づけることで、だから彼女に危害を加えたいわけではない。けれども自分の愛の欲望の最大で彼女をどうにかしてしまいたい、という欲は自分の底にどうしてもある。だからそれをいつまでも我慢し続ける自分が、ときたま発生してどうにもならなくなる。けれども、けれども、としているうちに、苦しくなり、であるならこちらから離れてしまおう、ないしは消え去ってしまおう、ないしは相手を消してしまおうというような(たぶん)
「人間の女子×怪異ないしは孤独な神さま」のお話めいた味を感じるから、ホラーめいた香りをおもうのかもしれない。ものがものなら怪異譚×日常もののフォーマットで、たまにシリアスになりつつも二者の生活が、世の中がつづいてゆく、というものなのかも。ない話をずっとして申し訳ないが。ただ、ここにあるのは、であるなら別の方法でお相手をしあわせにしたい、という動作方向になるというよりも、すこしだけ、自分の願望を叶えたい方向に針が振れている存在のお話、なのかもしれない。かつしかも、相手にはそもそも愛とかそういうのはなくて、あくまでも「彼と話すないしは関わる」ことだけを目的にしている、どちらかというと、友達ではあるが距離は一定の、下手をすると業務的ですらある関係性のものなのかも、ということ(なぜならば神と人であるため)。自分にとっての欲望が叶わないゆえの発露が、慈愛の方向ではなくて自分を受け入れてもらうこと、抱擁されることであるからこその神さまの悩みを読んだ、と思った。なぜならば二者は男と女で、それ以上もそれ以下もないのだし(怪異と人間ではなく、人間と人間の話である以上のもどかしさ、になるゆえ)うだうだ書いたが基本的には、なんにしても要求がめんどうくさい少年の話を読んだ、と感じている。けれども少年期の願望はこういうものなのかもしれない。突き抜けられる、という意味で逆に良さになっている気がした。
ぼんやり読んだ挙げ句に最後の一文がやってくるのだが、これはなんなのだろうと、すこし思う。個人的には前の文章でもう小説としてしっかり終われているのに、あえてでそこにラストの一文がくっついている印象をうける。思うのはやはり、これはあくまでも小説であるという立て付けをせねばならなくなったからこその「枠」を設けた、ということな気がしている。枠を設けることで、内側で生じる事柄の、虚構としての実在性を高めてゆくのが枠物語と思うけれど、この枠はなんというか、「自分(つまりは作者)と小説(創作物)をわけること」のためにあると感じる。だから、この小説は、途中で明確に小説ではなく吐露になりつつも、最終的には「これは小説ですからね」というところに戻ってくる歪さを有しているなにか、と思う。歪であるからこそこの味が出せており、歪ではあるがけれども構成やらなにやらがしっかり組まれているからこそ、このアンダンテという小説は、この味を出せている気がする。七転八倒というか、普段であれば削るはずの部分をそのままにしているからこそ食べられる味で、個人的にはすきなのだが、作者当人としてはこのままにしておくのは「不本意」なのかもとも。だからこその立て付けがラストなのかな、と考えた。納得した。長々と書いたが、個人的にはこれらをぼんやりと思った。パワーがある小説なのは間違いないと思う。
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