【雑記】長野の方と標高
お忙しい中,センターの方が迎えてくださって食事をしながらいろいろとお話をしました.ふと気づいたというか,驚いたというか,発見したというか,,,長野の方は「標高」という言葉をよく使うのです. 私の場合,標高を使うのは社会科の授業と防災に関する話をするときです.社会科はまあ使う場面があり,あとは避難訓練などの時,子供たちに津波が来る可能性があるから標高と避難場所を示した看板を常々チェックしておこうねという話をする位です. ところが長野の方は,「ここは標高〇mだから」とか,「あそこは標高が高いからねえ.〇mだよ」などと日常的に話している.長野の方は,常に標高が身体感覚としてあるんだなあと思わず感心しました.
そういえば,氷室冴子の「海がきこえる」という小説に,海の近くで育った子がどこにいても「常に海を探している」という身体感覚にまつわる話があったけど,まさにそれだなあと思いました. ちなみに私は海の近くで育ったけど,海を探そうとする身体感覚は残念ながら持ち得ておりません.残念っ!