【雑記】授業コンテンツを各校の先生が作るということ
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新型コロナウイルスが拡散し不安な日々が続くが,桜は例年通り美しく咲いていた。
それに伴い,自宅学習の充実のため,遠隔授業の取り組みが行われている.その中で,授業動画・学習サポート動画をあげる学校がちらほらある.世間もその取り組みに肯定的に捉えているようだ.また,逆にそのようなことをしない学校には批判がある.
私はこの風潮に,嫌悪感を持つ.
なぜならば,「兎に角何かやっている,努力している」ということ自体が称賛されて,そのこと自体の効果は冷静に分析されていないからだ.日本の学校現場はこの「兎に角やっていることを美しいと思い,そして周りもそれを期待し評価する」という仕組みにより疲弊し,金属疲労に陥っていると思うからである.
果たして,アップロードされた動画の質はどうなのだろう.
それは,子どもたちの学習を保証するものだろうか.
答えは,大方の動画が,「否」である.「リフティングの仕方」や「校歌を歌ってみよう」とか,普段していないもの,その学年の学習課程には無い物の動画が上がったり,学習課程の講義でも,一方的に先生が解説しているような者もある.
私は,もう20年ほど前になるが,大学受験予備校でビデオ講座を受講していた.非常に面白くわかりやすい.これぞプロフェッショナルだと思った.その動画に比べたらどうだろう.やはり餅は餅屋である.学校の先生は動画授業の技術はない.そして,学校にノウハウもない.プロの足元にも及ばないのが事実である.
それにもかかわらず,各学校が動画を作ることになんの意味があろう.休校になり浮いた時間をただただ無駄遣いしているだけにしか思えない.それよりは,文科省がプロに動画を依頼し,それを全国の子どもたちに届けた方がずっとずっと効率が良い.学習効果も段違いだろう.それによって先生方は,時間のゆとりが生まれ,今やるべき事務的な仕事,そして,コロナ中にやるべき遠隔授業の準備,そして,コロナ後に向けた研修をすることができるだろう.
というのが,基本的考え.
しかし,その一方,動画をアップロードすることにも,ポジティブな意味があると思ってきている.それは,先生方の意識改革とスキルアップである.上からの命令で動画を作ることになったとして,先生方はその過程で,「授業とは何か」,「教育とは何か」というような根源的なものを含め様々なことを考え,そして,ICTの技術を身につけていく.どうしたら,わかりやすいか,どうやったら動画をとり,そしてそれをHPにアップロードできるのか.セキュリティはどうか,アクセスできない子達への対応はどうするか.
今まで,ICTに興味がない先生は,ICTに向き合う必要があるし,興味はあるけど苦手だと言っていた先生も挑戦せざるを得ない.そして,そもそも学校とは何か,どうあるべきかを考えていく.
結局は,この取り組みが先生方の意識を変え,技術をつけていく.
今,日本社会は教育におけるICTの重要性に気付き,そしてそこに金を投入する流れができてきた.もう,過去には戻れない. さあ,兎に角もう,どんどんやりましょう!!チャレンジあるのみです!