【雑記】分散登校で安定する子どもたち
2020/06/02
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田んぼには水がはられ,稲が植えられている。どんよりした天気だが,水面に反射する木に目を奪われた。
ーーーーーーーーーーー記事一部引用ーーーーーーーーーーーー
「予想に反して、分散登校のときの学校では、子どもたちが安定して過ごしていると実感していました」
といったのは、ある公立小学校の特別支援学級を担任している教員だった。
(中略)
不思議におもった彼は、子どもたちに訊ねたそうだ。すると、「休み時間に行事の準備をしたり、いろんなことをやらされることがないので嬉しい」という返事が戻ってきたという。
(中略)
教員も同じで、学習の進捗状況に神経質になる必要もなかったし、行事の指導に追われることもなかった。だから、休み時間もふくめて子どもたちと正面から向き合うことができた。登校している子どもの数が普段の半分程度なのだから、目も届きやすい。
「普段は忙しくておろそかになりがちですが、分散登校のときは、わたしたち教員もゆっくり子どもたちと向き合うことができた気がします」と、その教員もいった。
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この記事は、これまでの学校現場が、子どもにとっても大人もとってもいかに忙しいものであったか、そしてそれにより弊害が生じていたことの証左であると思います。
ゆとりをもつことで子どもたちの心が安定する。
特に、繊細な子であればあるほど、それが大切なのだと改めて思います。
学校が良かれと思って計画する数々の行事、学力の向上、学力の保証の名の下に出される大量の宿題、もしかするとこのような学校の「善意」が、逆に子どもたちからゆとりを奪い、心の不安定を産んでいるのかもしれません。
もちろんそれは大人(教師)も一緒。
例えば、院生との研究(教育実習指導における指導教員の変容に関する事例的研究:阿部雄太・大島 崇行,第18回臨床教科教育学セミナー2019,2020年,臨床教科教育学会)では、教師が業務に追われ、子どもたちとの時間を振り返る時間(省察の場)を取れないことにより、貴重な学びを消失してしまっていることが確認されました。
世間が学校現場に期待をかければかけるほど多様な仕事や雑務が降りかかり、教師の心のゆとりや成長の場を奪ってしまう。その結果、世間が期待する専門職としての教師が担保されない。
コロナ禍により、学校現場の日常に埋め込まれてきた課題が浮かび上がってきています。今までの学校教育を見直すための重要な地点に今いるのかもしれません。
#院ゼミ
https://news.yahoo.co.jp/byline/maeyatsuyoshi/20200602-00181414/?fbclid=IwAR0kX7w8qCjQbJaWJyprZ8BTC0T-fAqxH9p_r82HMdYt_Z19gBAubt1VM80