タスク管理とは何か(玄武)
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また考えていきたいです。
タスク管理とは、自己との対話に基づく意志を形成する行為だと思います。
書くためのタスク管理とタスク管理のために書くこと
自分にとっての「タスク管理とはなにか」という話のアウトラインとメモ
タスク管理とタスク管理でないものを分けるもの
「なぜタスク管理に惹かれるのか」
玄武.iconは人の意志・意思が好き
人の意思がわかりやすく現れるのがタスク管理で、そこに惹かれる
タスク管理は対象(自己を含めた)とのコミュニケーションの一種のようにも思えます
一般的に「タスク管理とはなにか」という話のアウトラインとメモ
上記も面白そう
9/10
タスク管理とは「対象をいかに扱うか」を問うて学ぶものだと考えています。おそらくこれが私が考えるタスク管理の範疇が広すぎることになっていそうです。そして「対象をいかに扱うか」の問いは哲学が担ってきた範疇に属するように思えます。
9/11
そうして、いかに扱うかを考えたときに「書く」という行為によって対象を扱う(タスク管理)ことをしてみてはどうかなといったところから「書く」タスク管理 に繋がりそうです。 9/26
「必然性の洞察」を助けるものとしてのタスク管理
「自由とは,必然性の洞察である」(ヘーゲル)
でもこれは、タスク管理をどう見るか、どう捉えるかであって、タスク管理そのものが何であるのかの答えにはなっていなさそうです2021/9/28
10/15
タスク管理は「呼吸」のようなもの
意識しなくてもやってはいるし、意識してやるといろんなことに応用できる(情報整理とか)
呼吸も意識してやることでリラクゼーションや瞑想に応用できる
そうすると呼吸を補助する道具たとえば人工呼吸器や酸素マスクのようなものがタスク管理ツールともいえそう
仮に、仕事に悩むことがなければ、そもそも自分のタスク管理を検討する、なんてことはないのです。私は「タスク管理いいですよー」と言っていますが、タスク管理をやらないで済むならそれに越したことはないと思っています。
上の記事で自分の中で少し違和感(反論ではありません)があったのは、日常的な動作や食う寝る遊ぶもタスク管理のうちだと思っているから
「タスク管理をしない」というタスク管理もある
「意思」を「意志」に変えるのに「精神力」が必要になる
思っている(内界)だけの状態である「意思」から外界への働きかけ(つまり行動)を伴う「意志」
それら「意思」と「意志」の両方を貫くことになる「精神力」
「意思」をそして「意志」を保持し続けることにも「精神力」を必要とする
それを支えるのにタスク管理を使う
つまり、タスク管理とは意思である「思い」と意志である「行い」を支えること。
「行い」というと何やら道徳的な意味を含みそうですが、その意図はありません。
「思い」と「行い」を支える一つの方法として「書く」という行為があり、それが「書く」タスク管理に繋がっていく。 仮に、仕事に悩むことがなければ、そもそも自分のタスク管理を検討する、なんてことはないのです。私は「タスク管理いいですよー」と言っていますが、タスク管理をやらないで済むならそれに越したことはないと思っています。
再び戻って、"タスク管理をやらないで済むならそれに越したことはない"というのは、「思い」と「行い」を支えるが必要なければそれに越したことはないと読み替えると納得してしまう。
精神力が満タンで、何を思い、何を行うのかが自由自在であればやらないで済みそう。
うーん、何を思い、何を行うのか、その方向性を保持する必要はありそう。
そうでないと間違った階段に効率的に登ることは防げない
いや、「思い」の中に目的・方向性が含まれていて、それを持っていないと間違った階段を効率よく登っているとも言えそう。
そうするとやっぱり「思い」と「行い」を支える(もしくは支え続ける)こと(=タスク管理)は必要と言えそうです。
日常的な動作(呼吸や歩く)といったことは「思い」に重みをおかなくても「行う」ができる。
無意識と思えるレベルの意識レベルでできる(僅かな精神力で意思を意志にできている状態)
長期的な夢・目標といったことは「思い」に重みをおかないと「行う」までにたどり着けない。
11/21
タスク管理とは生活の技術である
もしくは生活の技術としてのタスク管理
“知的生活の技術”もしくは“生活の技術”