「書く」タスク管理 (20211010)
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===1 書くことの延長線上にあるタスク管理
元の文章
物事を扱うのに頭の中だけでいつも完結できるのであれば、それでもよいと思うのですが、その日の調子によっては頭のなかにうずまく感情があったりと、同じ物事を扱うのでも違った考え方や見方(たいていは一方的な見方)をしてしまうことがあります。
そんなときには、日を改めて考えてみるのがよいかもしれません。もしくは今ちょっとだけ脇においておきたい、頭の外に物事を出して扱いたいとき、そんなときには文字にしてみる、図に描いてみる、表にしてみるなどがあります。特に文字または文章にしてみることは、図や表に比べると素早く書き出せて、読んで頭の中に戻すことも容易です。また、後述するアウトラインとして扱うのにも適しています。タスクを書くことは普通のタスク管理でも謳っていますが、タスクついて書く内容と書いてみた内容をどう扱うかといった書くことの延長線上にあるタスク管理についての話をします。
頭の中だけで、物事がいつもうまく扱えればよいですね。でも、その日の調子によってはなかなかうまくいかないことがあります。頭の中に感情がうずまいていると考えるのは難しくなりますし、一方的で偏った見方に心が支配されてしまうこともあります。そんなときには、日を改めて考えてみるのがよいかもしれません。
もしくは今ちょっとだけ脇においておきたい、今は考えたくないときもあるでしょう。そんなときには、文字にしてみたり、図を描いてみたり、表にしてみたりする方法があります。特に文字にする(あるいは文章にしてみる)ことは有用です。図や表に比べると素早く書き出せますし、読んで頭の中に戻すことも簡単にできます。頭の中から外に出したものは、頭の中に戻す必要があるのですから、簡単に戻せることは大切なポイントです。
ちなみにですが、文字・文章が「図や表に比べると素早く書き出せて、読んで頭の中に戻すことも容易です」という文ですが、このままだと図や表よりも「読んで頭の中に戻すことも容易」という意味に取れますが、たとえば図の方がぱっと意味がわかる、ということはないでしょうか。
というように、文が繋がっていると、どこにどの意味がかかっているのかがわかりにくくなります。
図や表から意味を汲み取るのには、一度解釈・判断を入れないといけない(頭の中で言語化している?)ので、あらかじめ言語化した文字・文章の方が図や表に比べて読むだけで頭の中に戻しやすいと個人的に感じています。
図や表から得た解釈・判断を文字・文章として記録しておく
文字・文章にしておくと自分で自分に説明することが容易になる。
読むだけで頭の中に戻すことができるようになる。
まあ、そうは言っても図や表だけや文字・文章だけより両方あったほうが頭の中に入ってきやすいよねという結論になってしまうのですが。
ただ、図や表を「見る」だけなのと文字・文章を「読む」のとでは、やはり「見る」だけの方が意味がわかりやすいのかも。。。
とはいえ、同じものを「見る」のでも今見ているのと、あとで「見る(見た)」ときとで感じること、思うこと、解釈・判断は違ってくるかもしれない。
そのとき、そのときを切り取る(記録する)には、文字・文章ということになりそうです。
書き直すと
図や表に比べると素早く書き出せますし、読むだけで頭の中に戻すことが簡単にできます。また図や表から得た解釈・判断を文字・文章として記録しておくと、あとで読み返したときに自分が自分に説明することも容易にもなります。
修正の文章
頭の中だけで、物事がいつもうまく扱えればよいですね。でも、その日の調子によってはなかなかうまくいかないことがあります。頭の中に感情がうずまいていると考えるのは難しくなりますし、一方的で偏った見方に心が支配されてしまうこともあります。そんなときには、日を改めて考えてみるのがよいかもしれません。
もしくは今ちょっとだけ脇においておきたい、今は考えたくないときもあるでしょう。そんなときには、文字にしてみたり、図を描いてみたり、表にしてみたりする方法があります。特に文字にする(あるいは文章にしてみる)ことは有用です。図や表に比べると素早く書き出せますし、読むだけで頭の中に戻すことが簡単にできます。図や表から得た解釈・判断を文字・文章として記録しておくと、あとで読み返したときに自分が自分に説明することも容易にもなります。また、後述するアウトラインとして扱うのにも適しています。
タスクを書くことは普通のタスク管理でも謳っていますが、タスクついて書く内容と書いてみた内容をどう扱うかといった書くことの延長線上にあるタスク管理についての話をします。
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===2 Atomicなものとして書き出す
文字または文章にしてみるときは、Atomicに書き出すようにします。私も後に例で出しているように実際にAtomicに書き出しています。書くことについては、メモすることや、ノートをとることにおける「書く」行為も参考になります。Andy Matuschak氏が提唱されたEvergreen notesというノート術に「Evergreen notes should be atomic」とあります。ここにあるAtomicの意味に着目したいと思います。
Atomicというのは、単語として「原子の」「きわめて小さい」という意味ですが、ここではこれ以上分割できないというよりは、むしろ化学元素の最小単位であり、なおかつ下部構造の陽子の数によって原子(元素)が変わるように、最小単位としての要素を切り出すことと、他にも変わり得るものを同時に持つのがAtomicなものと扱ってみたいと思います。そうしてAtomicに書き出すことで、連想・リンクしやすくなります。
書くことの延長線上にあるタスク管理を行う際に、対象をAtomicではない大きな塊として(それは得てして複雑なものです)書いてしまっていては、連想・リンクさせにくくなります。それは、発想や変化を生み出しにくくなります。複雑な形の大きなジグソーパズルのピースが他にはまりにくいように、単純な形の小さなピースのほうが他のものと合致しやすいものです。
たとえば、「髪の毛を切る」といったタスクについてAtomicなものとして書き出すとき、それは普通のタスク管理で大きなタスクを小さなタスクに分ける分解とはちょっと異なったものになります。
分解
髪の毛を切る
いつ床屋・美容院に行くのか決める
床屋・美容院を予約する
予約した日時に床屋・美容院に行く
床屋・美容院で髪を切ってもらう
床屋・美容院から帰ってくる
Atomicなもの
髪の毛を切る
いつ床屋・美容院に行くのか決める
行くのが面倒くさいので、なにかのついでに行ってこようかなと思う
そういえば、近くに気になってたケーキ屋さんに寄ってみたい
ケーキをごほうびにして床屋・美容院を予約する
どうでしょうか。分解には、足して元の形にもどるという制約が盛り込まれてしまいます。しかし、Atomicなものは「面倒くさい」「気になっていた」「ごほうび」などの足しても元の形に戻らない要素がでています。そして、「そういえば」という連想・リンクが繋がっているところも注目してみてください。
とはいえ、分解が必要ないわけではありません。分解はAtomicに書き出すことのの一種であり、対象を小さい要素に分けることで整理したり、実行に移しやすくなります。このように同じ「髪の毛を切る」でも、Atomicなものとして書き出すと、ケーキ屋さんに行くついでに床屋・美容院に行っているようなところさえあります。
>Atomicなものは「面倒くさい」「気になっていた」「ごほうび」などの足しても元の形に戻らない要素がでています。
たしかに足しても元の形に戻らなくなっています。ただしそれがAtomicとどう関係しているのかがうまく見えてきません。なぜ、Atomicなものは、足しても戻らないのでしょうか。言い換えると、Atomicに書くとはどういうことなのかが、ここまでを読んだだけではよくわかりません。「分解」とは違うというのはわかるのですが、じゃあAtomicってなんだよ、が見えてこないのです。
むしろ私には、Atomicに書こうとした(書いた)結果として、「分解」とは違う何かが起こって、それによって足しても戻らなくなったのだと感じられます。その「違う何か」を分解と対比させて感じ二文字で表現できると良さそうです。
つまり、分解:atomicの対比は、比較対象がズレているのではないか、ということです。
分解:hoge
であり、このhogeがatomicによって起きやすい、という印象。
最後の段落で「分解はAtomicに書き出すことの一種」と書かれているので、その辺が整理されると、さらにわかりやすくなりそうです。
分解の対義語を調べてみると「化合」「合成」「構築」が出てきました。
「Atomic」という言葉からは化学よりの繋がりから「化合」もよさそう。
もしくは「構築」から「構成」に変えて構成案を作るのにアウトライナーが適しているという広がりに繋げ方でもいいかもしれない
「 アウトラインは「目次案」あるいは「構成案」だと思うとわかりやすい(本当はちょっと違うのだが、ここでは触れないでおく)。簡単にいえば「階層化された箇条書き」の形式で文章の構造を示したものだ。」
『思考のOSとしてのアウトライナーを通じて「個人的」情報ツールについて考える: 文章を書き、考える人のための「アウトライナー」活用術 情報整理大全』Tak.著
未使用→3章に使えるかも
「構成」を考えるのにアウトライナーが役に立つこともあります。
髪の毛を切るという元の形に戻る制約はアウトラインでいう(最)上位項目が「髪の毛を切る」から変わらない(固定している)ことを示している
対して、Atomicなものでは(最)上位項目が「髪の毛を切る」から「ケーキ屋さんに行く」がボトムアップされている
ケーキ屋さんに行く
ついでに髪の毛を切りに行く
分解:構成
"このhogeがatomicによって起きやすい、という印象"
"この「構成」がAtomicによって起きやすい、という印象"
まあ、あまり違和感はなさそう。
タスクを分解する:タスクを構成する
「構成」の手前が「分解」で、Atomicに書き出すことに両者が含まれる
修正の文章
私は、文章にして書き出すときには「Atomic」に書き出すようにしています。Atomicとは何でしょうか。これは、Andy Matuschak氏が提唱したEvergreen notesというノート術出てくる「Evergreen notes should be atomic」のAtomicに注目したものです。
Atomicというのは、単語として「原子の」「きわめて小さい」という意味ですが、ここではこれ以上分割できないというよりは、むしろ化学元素の最小単位であり、なおかつ下部構造の陽子の数によって原子(元素)が変わるように、最小単位としての要素を切り出すことと、他にも変わり得るものを同時に持つのがAtomicなものと扱ってみたいと思います。
たとえば、「髪の毛を切る」といったタスクをAtomicなものとして書き出すとき、それは普通のタスク管理で大きなタスクを小さなタスクに分ける分解とはちょっと異なったものになります。
分解
髪の毛を切る
いつ床屋・美容院に行くのか決める
床屋・美容院を予約する
予約した日時に床屋・美容院に行く
床屋・美容院で髪を切ってもらう
床屋・美容院から帰ってくる
Atomicなもの
髪の毛を切る
いつ床屋・美容院に行くのか決める
行くのが面倒くさいので、なにかのついでに行ってこようかなと思う
そういえば、近くに気になってたケーキ屋さんに寄ってみたい
ケーキをごほうびにして床屋・美容院を予約する
どうでしょうか。分解では、足して元の形に戻らなければならない、という制約が出てきます。しかし、Atomicなものは「面倒くさい」「気になっていた」「ごほうび」などの足しても元の形に戻らない要素がでています。そして、「そういえば」という連想・リンクが繋がっているところも注目してみてください。
Atomicに書こうとした(書いた)結果として、タスクに対する「構成」(再構成を含む)が起こっているように思えます。「分解」だけではない「構成」が起こることによって、足しても戻らなくなっています。「構成」は、Atomicなものによって起こりやすくなります。とはいえ、分解が必要ないわけではありません。分解はAtomicに書き出すことのの一種であり、対象を小さい要素に分けることで整理したり、実行に移しやすくなります。分解は、元の形があるという前提からAtomicに書き出たもので「構成」することです。
Atomicなものを書き出すと、連想・リンクしやすくなる特徴があります。書くことの延長線上にあるタスク管理を行う際に、対象をAtomicではない大きな塊として(それは得てして複雑なものです)書いてしまっていては、連想・リンクさせにくくなります。それでは、発想や変化を生み出しにくくなってしまいます。複雑な形の大きなジグソーパズルのピースは他にはまりにくいですし、単純な形の小さなピースのほうが他のものと合致しやすいものです。扱いやすいのは後者でしょう。
このように同じ「髪の毛を切る」でも、分解して書き出すならどこまで行っても髪の毛を切るという元の形に戻る制約がありますが、Atomicなものとして書き出すなら、ケーキ屋さんに行くついでに床屋・美容院に行っているようなところさえあります。
以上のように、書くことによるタスク管理については、メモすることや、ノートをとることにおける「書く」行為も参考になります。
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===3 自分なりのアウトラインを作る
元の文章
Atomicに書き出したものをどのように扱うかというと、文字情報を扱っていることを生かしてアウトラインとして操作することができます。アウトラインの基本的な操作としては、『アウトライン・プロセッシング入門』を参照してみてください。
アウトラインにするとき、あとで読み返したときのために理解しやすいよう、つまりそれは頭の中に戻しやすいように整理しておきます。そうすると頭の外に書き出していたものを読み返して再び頭の中に戻すといった「頭の外と中とで行き来しやすい形」になります。この「頭の外と中とで行き来しやすい形」にしておくと考える助けになります。「頭の外と中とで行き来しやすい形」には、人のアウトラインにならうより、自分なりのアウトラインを作ることが重要になります。では、自分なりのアウトラインとは何でしょうか。それは未だないものを認識するアウトラインです。
先ほど挙げた「髪の毛を切る」アウトラインを見てみましょう。前者は、頭の外にある事柄を土台(ベース)にして作り上げ頭の中へと入れておく、すでにあるものを認識するアウトラインとなります。いわば「手順」のような誰が作ってもほとんど同じとなるものです。客観的な事象に基づく事柄を書き表しています。このときの主体はタスクにあり、タスクに関する理解が進むことになります。
後者は、頭の中にある事柄を土台(ベース)にして作り上げ、意識の上に現し出しておく、未だないものを認識するアウトラインになります。いわば「気づき」のような人それぞれ自分なりのアウトラインになりやすいものです。主観的な事象に基づく事柄を書き表しています。このときの主体はタスクの担い手(書き手)にあり、担い手(書き手)関する理解が進むことになります。
>Atomicに書き出したものをどのように扱うかというと、文字情報を扱っていることを生かしてアウトラインとして操作することができます。アウトラインの基本的な操作としては、『アウトライン・プロセッシング入門』を参照してみてください。
アウトライナーに親しんでいる人ならば、「アウトラインとして操作する」の表現は通じるでしょうが、そうでない人はわりと掴みづらいと思います。
操作方法などは『アウトライン・プロセッシング入門』にまかせてOKですが、そのような操作ができるとどんな嬉しいこと、役立つのかを提示しておかないと、読者としてはわりとおいてけぼりな感じがあります。
『アウトライン・プロセッシング入門』にも記載がありますが、アウトラインとして操作することで構成が簡単に組み替えられます。
修正後の文章
Atomicに書き出したものをどのように扱うかというと、文字情報を扱っていることを生かしてアウトラインとして操作することができます。アウトラインとして操作することでAtomicなものとして書き出したものの「構成」が簡単に組み替えられます。「構成」が簡単に組み替えられることは『アウトライン・プロセッシング入門』にも記載があります。アウトラインの基本的な操作としては、『アウトライン・プロセッシング入門』を参照してみてください。
>アウトラインにするとき、あとで読み返したときのために理解しやすいよう、つまりそれは頭の中に戻しやすいように整理しておきます。そうすると頭の外に書き出していたものを読み返して再び頭の中に戻すといった「頭の外と中とで行き来しやすい形」になります。この「頭の外と中とで行き来しやすい形」にしておくと考える助けになります。(retrun)「頭の外と中とで行き来しやすい形」には、人のアウトラインにならうより、自分なりのアウトラインを作ることが重要になります。(retrun)では、自分なりのアウトラインとは何でしょうか。それは未だないものを認識するアウトラインです。
「頭の外と中とで行き来しやすい形」するのは、おそらく「文字として(文章として)」書き出すときのポイントではないでしょうか。つまり、この話はもっと最初の方に出てきてもよいのではないでしょうか。
つまり現状だと、アウトラインにするときだけ、「頭の外と中とで行き来しやすい形」に気をつければいい、というように読めてしまいます。
(retrun)入れた部分で意味が切れているので、段落を分けられた方がよいかもしれません。
文字として(文章として)、あとで読み返したときのために理解しやすいよう、つまりそれは頭の中に戻しやすいように整理しておきます。そうすると頭の外に書き出していたものを読み返して再び頭の中に戻すといった「頭の外と中とで行き来しやすい形」になります。この「頭の外と中とで行き来しやすい形」にしておくと考える助けになります。
(retrun)「頭の外と中とで行き来しやすい形」には、人のアウトラインにならうより、自分なりのアウトラインを作ることが重要になります。
(retrun)では、自分なりのアウトラインとは何でしょうか。それは未だないものを認識するアウトラインです。
前半の文章を「1 書くことの延長線上にあるタスク管理」に組み込む
頭の中だけで、物事がいつもうまく扱えればよいですね。でも、その日の調子によってはなかなかうまくいかないことがあります。頭の中に感情がうずまいていると考えるのは難しくなりますし、一方的で偏った見方に心が支配されてしまうこともあります。そんなときには、日を改めて考えてみるのがよいかもしれません。
もしくは今ちょっとだけ脇においておきたい、今は考えたくないときもあるでしょう。そんなときには、文字にしてみたり、図を描いてみたり、表にしてみたりする方法があります。特に文字にする(あるいは文章にしてみる)ことは有用です。図や表に比べると素早く書き出せますし、読むだけで頭の中に戻すことが簡単にできます。図や表から得た解釈・判断を文字・文章として記録しておくと、あとで読み返したときに自分が自分に説明することも容易にもなります。また、後述するアウトラインとして扱うのにも適しています。
文字として(文章として)、あとで読み返したときのために理解しやすいよう、つまりそれは頭の中に戻しやすいように整理しておきます。そうすると頭の外に書き出していたものを読み返して再び頭の中に戻すといった「頭の外と中とで行き来しやすい形」になります。この「頭の外と中とで行き来しやすい形」にしておくと考える助けになります。
タスクを書くことは普通のタスク管理でも謳っていますが、タスクついて書く内容と書いてみた内容をどう扱うかといった書くことの延長線上にあるタスク管理についての話をします。
後半の文章を「3 自分なりのアウトラインを作る」に戻す
「1 書くことの延長線上にあるタスク管理」で記載した「頭の外と中とで行き来しやすい形」には、人のアウトラインにならうより、自分なりのアウトラインを作ることが重要になります。
では、自分なりのアウトラインとは何でしょうか。それは未だないものを認識するアウトラインです。
"先ほど挙げた「髪の毛を切る」"もアウトラインとして捉えられます、的な文章があればぐっと話が接続すると思います。
「"先ほど挙げた「髪の毛を切る」"もアウトラインとして捉えられます」を付け足す
前者と後者の表現のあたりを修正
先ほど挙げた「髪の毛を切る」もアウトラインとして捉えられます。前者の大きなタスクを小さなタスクに分けて分解したアウトラインは、"頭の外にある事柄"を土台(ベース)にして作り上げ頭の中へと入れておく、すでにあるものを認識するアウトラインとなります。いわば「手順」のような誰が作ってもほとんど同じとなるものです。客観的な事象に基づく事柄を書き表しています。このときの主体はタスクにあり、タスクに関する理解が進むことになります。
対して後者のタスクをAtomicなものとして書き出したアウトラインは、"頭の中にある事柄"を土台(ベース)にして作り上げ、意識の上に現し出しておく、未だないものを認識するアウトラインになります。いわば「気づき」のような人それぞれ自分なりのアウトラインになりやすいものです。主観的な事象に基づく事柄を書き表しています。このときの主体はタスクの担い手(書き手)にあり、担い手(書き手)関する理解が進むことになります。
未使用
「構成」を考えるのにアウトライナーが役に立つこともあります。
髪の毛を切るという元の形に戻る制約はアウトラインでいう(最)上位項目が「髪の毛を切る」から変わらない(固定している)ことを示している
対して、Atomicなものでは(最)上位項目が「髪の毛を切る」から「ケーキ屋さんに行く」がボトムアップされている
ケーキ屋さんに行く
ついでに髪の毛を切りに行く
コラム:ボトムアップ
「髪の毛を切る」というタスクを分解した時の元の形に戻る制約は、アウトラインでいう(最)上位項目が「髪の毛を切る」から変わらない(固定している)ことを示しています。
髪の毛を切る
いつ床屋・美容院に行くのか決める
…
対して、Atomicなものを書き出したときは、(最)上位項目が「髪の毛を切る」から「ケーキ屋さんに行く」がボトムアップされています。
ケーキ屋さんに行く
ついでに髪の毛を切りに行く
===4 リストにあるタスクからの選択とリストにないタスクからの選択を並走させる
元の文章
Atomicに書き出して、自分なりのアウトラインにしたものは、ノートやリストとして書いて残してみます。そうしたノートやリストの使い所として挙げるならば、日々を過ごす中でやること(またはやらないこと)について使ってみるのはどうでしょうか。以下に挙げるのは実際に自分が書いて残したものの例です。
週末に買い物に行くときに、買うもの、または買わないものを書いて残しておく。
気になった本があったときにタイトルをメモして残しておく。
家族の予定を聞いたときに書き留めておくなど。
ノートやリストを使ってみるときに気をつけたいのは、ノートやリストにしたものからだけやることを決めるものではないということです。せっかく、やることについてノートやリストを使ってみることにしたのに、と思いたくなりますが、やってみるとわかりますが、すべてのやることに対してリストから選択するのは、「言うは易く行うは難し」で意外とハードルが高いです。
最初は、リストを気にせず選択することを優先して、適宜ノートやリストに書いて残しておくほうが慣れるまでは破綻しにくいと思われます。そうして徐々にノートやリストができあがってくると、リストがあるからリストにないタスクをやっていても元のタスクに戻ることができると思える状態が生まれてきたりします。リストに「休む」というタスクはなくても休みたいと思えば、休む選択をする。リストにないやることでも必要だと判断したらやる選択をする。そのようにして、リストにあるものとリストにないものとを並走させながらハイブリッドに選ぶようにします。そうして、リストにないものをやったときには再び適宜ノートやリストに書いて残すことを繰り返してみましょう。
>Atomicに書き出して、自分なりのアウトラインにしたものは、ノートやリストとして書いて残してみます。
書き出して、アウトラインになっているものは、すでに「書き残されている」と思うのですが、それとは違う何かの操作が「ノートやリストとして書いて残して」みることにはある、ということでしょうか。それとも単に、捨てないで取って置く、くらいの意味合いでしょうか。
捨てないで取っておくぐらいの意味でした。
>以下に挙げるのは実際に自分が書いて残したものの例です。
ブロック2で「私も後に例で出しているように」となっているので、「私が」に揃えたほうが読みやすいです。
「私が」に修正
>リストに「休む」というタスクはなくても休みたいと思えば、休む選択をする。
ごく単純に思うのですが、タスク管理をまったくやっていない人は、たぶん普通にやっていることだなと、思いました。
このメッセージはむしろ、「タスク管理」の考え方に強く縛られてしまって、リスト外の行動ができない人への処方箋として役立ちそうです。その意味で、ここはタスク管理中級者向けの提言であるように感じられました(別にそれが悪いということではなく、単なる感想です)。
上のことを思って、この文章はタスク管理初心者に向けられているのか、中級者(一度挫折を経験した人)に向けられているのかを検討してみてもいいかもしれません。その答えによって、書くべきこと、書かないことがより判断しやすくなるので。
書いた意図としては、今回の記事で最初は入り口を広げた初心者に向けて、段々と中級者に向けているイメージでした。
コラム:リストに縛られる
リストが役に立つことがわかってくると、リストに書いていない・書かれていない選択をしにくくなることがあります。特に見落としがちなのが「休む」ことです。リストに「休む」というタスクはなくても休みたいと思えば、休む選択をしましょう。
もしくは「休みたい」と思ったことを書きます。「「休みたい」と書いても休めないんだよなあ」と書きたくなくなる気持ちになるかもしれません。でしたら「休みたいと思った」と書いておきます。「思ったこと」は事実なので書きやすくなるのではないでしょうか。