9786_ひとつの大きな芸術を、時間のうしろにつくること
『茶の道が絶えてはいけない』。懇意にしている茶道の先生から、度々こんな言葉が出てきます。『先代が創った道の後に、自分は続いていく』と、先生の言葉は続きます。その言葉を聞き、私は「これが芸術なのか」と、深く思うのです。「先代が創った道の延長に自分を置き、その道を次の世代に引き渡すこと」を、自分の人生の仕事として掲げることに、私は「芸術」を感じたのです。
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持ち運びやすい軽量畳を、中高一貫校の茶道部に納品しました。廊下のアルコーブは放課後、茶道教室に様変わりします( 2018.01.20) hr.icon
「先代が創った道の延長に自分を置き、その道を次の世代に引き渡すこと」
一見、この手続きは、『芸術』を感じさせるものではありません。
ですが、この手続きこそ、『芸術』なのではないのでしょうか。
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専門学校や職業訓練校で、講師をした経験があります。
他の講師とのミーティングの際には、
「生徒たち、ひとりひとりの『芸術性』『個性』『創造力』を伸ばしたい」
こういう意見が必ず出るのですが、その度に私は違和感を感じました。
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私が学んで来た建築の道は、それとは大きく違うものだったからです。
大工を父に持つ私にとっての修行は、『師匠の真似をする』ことでした。
見るだけでなく、聞くだけでもなく、自分で感じることを求められました。
教えてもらうのではなく、『自分で感じて真似をする』のです。
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『師匠の真似をする』ことで得た技術を、まず自分の中に沈殿させること。
そして、いつか自分に手のひらに、『芸術』が生まれるのを待つのです。
いえ、私の手のひらには、芸術が生まれないかもしれません。
それでも構いません。私の目的は、住まいを造ることによって得たことを、
次の世代の住まいてさんや建築家に、残すことだからです。
正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。
ごらんなさい。向うの青いそらのなかを一羽の鵠こうがとんで行きます。
鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。
みんなはそれを見ないでしょうが、わたくしはそれを見るのです。
おんなじようにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。
それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。
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このお住まいは、昭和30年代の建築家の作品でした。
その時代の建築家が、和風ではない新しいスタイルを試みた、
大屋根や間口の広い木製建具が美しい、ゆったりとした住まいです。
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私は、この住まいのリフォームを依頼された時、
その建築家の感性を尊重する、リフォームを考えました。
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