私の幸せは『誰かが支えてくれている』ということ
「誰もが『実年齢』と『ほんとうの年齢』の二つの年齢がある」と時折思うのです。私の実年齢の半分にも満たない、なのに『ほんとうの年齢』では私よりずっと年上な、ある看護学生のいう『私の幸せ』という話を、2018年4月に記事にしてありました。
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スパニッシュスタイルの洋館「山手111番館」。ローズガーデンを見下ろすダイニングは、ここで暮らしていた家族を楽しませていたことでしょう。のみならず公園から見上げると美しく佇んでいて、公園を散策するひとたちも楽しませているのでした( 2018.04.19)
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その彼女は『私は、ほんとうに幸せだ』と、よく言うそうです。その理由を訪ねると、彼女はこんなふうに答えるそうです。
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『だって、家族みんな元気だから。おばあちゃんも、おじいちゃんも元気だし、近くの親戚たちもみんな元気だから... 』
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『そんな、みんなの元気に囲まれて、私は勉強や大好きな事に、思う存分打ち込めるのだから... 』
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私も毎日、自分が大好きな事をしています。時たま残念な事があるものの、私が大好きなことをできること、ありのままの私でいられること。
そんな、『私の幸せ』を考えてみると、誰かが支えてくれているもののようですね。みなさんも、そう思いませんか?
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そして、この『誰かが支えてくれている』ことに思いが至るとき、私もまた、誰か幸せを支えるべく、『お節介』をしたくなるのです。住まいづくりの仕事が楽しいのは、何かと『お節介』がしやすいからです。
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そして、誰かの幸せを自分の幸せと感じること... 。この思いに至った人を『ほんとうの年齢』の高い人なのだと、私は感じてしまうのです。
賢治の『農民芸術概論綱要』に、こんな1文があります。
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
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賢治のいう、『世界がぜんたい幸福』って何だろう... 。
私の幸せ、誰かの幸せ、世界がぜんたい幸せ... 。
賢治に詳しい友人に訊ねると、こんなふうに例えてくれました。
例えば10人のグループで、『みんなで幸せになろう!』とする計画を立てたとしよう。その後、自分は幸せになっても、10人のうち9人しか幸せになれなければ、計画は90%しか成功しなかったのだ。自分が幸せとは言えない。
皆さま、当局と交信した際には、賢治は何を伝えたかったのか教えてください。
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