9960_誰もいない校庭と二宮金治郎
夏休み中の小学校の前を通りかかりました。校庭には誰もいませんが、校門前の金治郎(二宮尊徳)は、薪を背負いながら、時間を惜しむように勉強してました。そう言えば、昨年、こんなひとコマがありました。
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二宮尊徳(にのみや たかのり)は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家。薪を背負いながら本を読んで歩く姿は「負薪読書図」と言うそうです。思い出( 2017.07.30) hr.icon
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報徳思想
報徳の教えとは、二宮尊徳が独学で学んだ神道・仏教・儒教などと、農業の実践から編み出した、豊かに生きるための知恵である。
神仏儒を究極的には一つにいたる異なる道に過ぎないと位置づけ、神仏儒それぞれの概念を自由に組み合わせて説かれている。
そのため報徳の教えを報徳教と呼ぶことがあってもそれは宗教を意味するものではない。
「報徳訓」は、報徳思想を108文字の簡明な漢文にまとめたもので、
当時の農民層にも広く浸透していたそうです。
「神道・仏教・儒教」を一つにいたる、
それぞれの道と位置づけています。それぞれの概念を、
自由に組み合わせると言うところに、私は惹かれました。
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友達と一緒に食べること
2時間目を終えた娘を小学校から連れ出して、
歯科大に連れて行ったことがありました。
診察は長引いてしまい、給食までに戻るつもりが、
間に合わなくなりそうです。
娘はそわそわしています。
診察を終え、歯科大を後に車に乗り込むと、
給食を食べ始めている時間を過ぎていました。
娘は、とうとう泣き始めてしまいました。
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給食によっぽどの好物があるのかと思い、
担任の先生に給食を残してもらうよう、電話するかと尋ねました。
すると娘は「電話しなくていい、ひとりで食べても美味しくない。
友達と一緒に食べるから美味しんだ」というのです。
大人になると、美味しいとか美味しくないとか、
カラダにいいとか悪いとかに、感心がいきがちです。
しかしそれらは、「食べる」ということの、
ひとつの側面でしかないのですね。
「食べる」ということの意味を、改めて考えたひとコマでした。