9723_卒業式と体育館の天井構造
オオタキラジオでは、40年前、50年前の思い出話がよく出てきますが、この思い出話は、それほど古くはありません。今から13年前の話です。その日、家内の様子は変わり出したのは、午後になってからでした。夕方になり、急遽、病院に行くことになりました。家内を助手席ではなく、後部座席に乗せ、我が家を出発したのは、午後4時過ぎでした。
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小学校での6年間というのは、親にはあっという間なのでしたが、12才の子どもたちにとっては、人生の半分となる大切な時間なのでした。先生たちには、感謝の気持ちでいっぱいになりました。生きること、学ぶこと、私と娘( 2018.03.24) hr.icon
通院していた産婦人科病院の近くに、当時、リフォーム工事をしていた、現場があったので、その病院へは、我が家から距離はあるものの、裏道にも行き慣れていて、1時間ほどで到着できるはずでした。
大切な身体です。病院へは裏道を避けていくことを思い付きました。ですが新青梅街道は、予想外の大渋滞でした。裏目にでてしまい、病院までの道のりは、30分以上も長くかかってしまったのです。これが父親としての、私の一番最初の失敗でした。
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待合室の私を、看護師さんが呼びに来たのは、午後10時半頃でした。対面したのは、まだ寝ていたかったとでも言いたげな、女の子でした。その表情を見た途端、眠さがうつったのか、私まで眠たくなったのです。
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ですが、翌日からは違いました。不安な気持ちでいっぱいになりました。「小さな子を持つ親は、いかに無力か」ということを実感し始めました。テレビから子どもの辛いことを聞くと、その度、膝が崩れてしまうのです。その不安の頂点となったのが、それから6年後『2011年3月11日』でした。
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私の失敗は、その後も続くこととなりました。
娘のリクエストに答え、夏休みに動物園に行ったことがありました。到着するとすぐに、娘と「帰りたい」と言いだしました。私は怒りました。私でも歩くのが大変な、真夏の日差しなのに、です。
みんなで、レストランに行ったときのことです。娘は自分で選んだ料理を、「食べられない」と言いだしました。私は怒りました。私でも想像しにくい、小さなメニューの写真なのに、です。
子どもの成長と同期するように、親も成長しなくてはならないのでした。
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自分が「主役」になるのではなく、「脇役」になって、周りの人たちを、幸せにできるひとになってほしい... 。
そんな願いが、私にはありました。そして、周りの人たちを幸せを、自分の幸せと、感じられるひとになってほしいのです。
自分が歌うのではなく、みんなに歌ってもらう、指揮者のように。
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父はよく、私に「三本の矢の教え」の話を聞かせました。『1本の矢では簡単に折れるが、3本束ねれば簡単には折れない』毛利元就が三人の子に伝えたという、結束の重要性を説いた話です。
体育館の天井は、斜め格子の細い鉄骨どうしが支えあっています。数年前の、耐震補強工事で付け加えられたものだそうです。なるほど、細い鉄骨でも、みんなで協力していけばいいのですね。
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子どもたち全員の歌声に、本当に素晴らしい小学校だったのだと、どの親たちも感じたことでしょう。先生たちには、感謝の気持ちでいっぱいになりました。明日の後半に続きます... 。
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