9465_自分の部屋を持てた時の喜びを、忘れずにいること
令和の始まりの10連休に、ずいぶんと前から頼まれていた、娘の部屋のプチリフォームをしました。カーテンとカーペットを新しくするだけなのですが、なかなかできず、「リフォームしてから友達を招きたい」と、言われていたのでした。
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このタイルカーペットの貼り替えは、大工の弟と私とで行いました。
「令和のプチリフォーム」が終わるのを待ちかねていた娘は、
新しくなった部屋に入ってくると、とても嬉しそうでした。
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そんな娘の様子を見ていると、ふと私は、
始めて個室を得た、小学6年の頃を思い出しました。
私が小学6年の頃、狭山市の小さな中古住宅に、引っ越してきました。
曲がり階段を上がっていくと、2階には2部屋あり、
その内の明るい南側の6帖の和室が、私と弟の共同部屋となりました。
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自分の好きなもの飾れたり、自分の机を置くことができる、
その部屋を得たことは嬉しくて、今思い出してもワクワクします。
私たち兄弟がしたことは、部屋中の壁のポスターを貼りでした。
この6帖の和室は、2面の窓、入り口、押入れもあったので、
そもそも壁は少なく、天井にまで貼りだしたのでした。
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その後、部屋に入ってきた母に、せめて天井には貼るなと、
諭されたのですが、今思うと、なるほど、おかしいですね。
ですが私たち兄弟は、なんでそんなことをしたのでしょうか。
「自分の手で触り、仕上げてこそ自分のものとなる」
私たちの与えられた部屋とはいえ、まだその実感を持ち得ない、
そこで私たちは、本能的にそうした行動をした様に思えるのです。
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部屋はあるだけで嬉しいし、この部屋は本当はどうあるべきかとか、
どの様にしたら、もっと子どもたちが嬉しくなれる部屋になるかなど、
考えられませんでした。考えることが許されると思えませんでした。
というのも、大工の父が茶の間で眺めていた設計図を、
父の製図台を使って、私も真似して描くことがあったのですが、
あくまでも設計図は、「家を造るための組み立て説明書」であって、
私たちのささやかな期待や、もう少し嬉しくなれる工夫でさえ、
書き込む余地などない様に思えたからでした。
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当時の私は将来、どんな仕事を選ぶのかなんて考えていなかったし、
そもそも設計するという仕事が、あるなんて知りませんでした。
ですが私はそれから3年後、工業高校建築科に入学し、進学せずに、
設計事務所の門を叩き、わずかな修行の後、事務所を開設したのです。
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その後30年以上も、ずっと住まいづくりの仕事をしてきて、
大切にしていることがあります。それは、
私が始めて、6帖の部屋を手にした時の喜びを忘れないこと。
自分の好きなものを、自分が好きな様に飾れる喜び、
それは、その部屋の住人の特権であって、
設計者の特権ではないということ。
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そして、設計者の役割を忘れないこと。
限られたスペースであっても、
窓や開口部、入り口の位置を丁寧に考えて、
まとまった壁をつくり、心地よい空間に仕上げること。
どんな時でも、その部屋の住人を、やさしく包んであげること。