9449_家でしかできないことって何だろう
1987年のことです。尊敬していた建築家の講演を聴講するために、
私は遠路、新潟県民会館に向かいました。大ホールの壇上から、
『みなさん、家でしかできないことって、何だと思います?』
建築家はこんな質問を、客席の私たちに投げ掛けました。
4ヶ月前に設計事務所を開設したばかりの、21才の私は考えました。
寝るためならホテルがあるし、食べるためならレストランがある。
物をしまうのなら倉庫があるし、楽しいことなら外の方が、
たくさんある。さて、家でしかできないことってあるのかな... 。
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『それはですね!』『家族が、デレデレすることですよ!』
客席の私たちは「な〜んだ」と笑いだします。
『みなさん笑いますけど、だって道路の脇で、どこかの家族が... 』
『デレデレってしてたら、気持ち悪いでしょ!』
ホールが大きく湧く中、私は幼い頃の一場面を思い浮かべました。
家族で出掛けた動物園からの、帰り道での思い出です。
駅からの帰り道、家が近づき狭い路地を、左へ右へと曲がると、
夕暮れの中に、黒ずむ杉板張りの平屋の家が見えた途端、
私と弟は我れ先にと走り出す、ありふれた場面が忘れられないのです。
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その走り出したくなる気持ちは、当たり前の様でありながら、
不思議な様でもありました。動物園はとても楽しかった。
すぐにまた行きたいと思う一方で、毎日を過ごしている平凡な
この家を、なぜこんなに愛おしく思うのだろう。
外に出かけることが楽しいのは、帰って来れる家があってのこと。
家には、「自分の居場所がある」「大切なものに囲まれている」
のだからと、今の私なら、理解することができるのですが... 。
「家」に対する原体験となったこの思い出が、建築家の問い掛ける、
家でしかできないことと、繋がっている様に思えたのです。
「ひとりひとりの居場所があり、大切なものに囲まれる暮らし」、
住まいづくりの仕事の中で、変わることなく大切にしていることです。
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自分の居場所を大切にした、ある住まいをご紹介させてください。
このお住まいは当時の建築家設計の、大屋根が美しい木造住宅です。
この住まいの良さを活かしながら、加齢に備えたバリアフリーにし、
サンルームの様な書斎、浴室と洗面室を、増築したいとのことでした。
高齢になるにしたがい、友人や来客を自宅に招く機会は少なくなり、
応接間は不要になったので、応接間を寝室にしたいとのことでした。
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このお住まいには、すでに快適な寝室があるのですが、その部屋では、
お母様の介護をしていた辛い時のことを、思い出してしまうそうで、
今回のリフォームで、ご自身の寝室を新たにすることになったのです。
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「大瀧は、東南の角の一番日当たりのいい場所に、」
「浴室と洗面室を配置したのですが、本当にいいのですか?」
間取りの計画をしている時に、こんなエピソードがありました。
事務所のスタッフがそう尋ねると、Hさんは答えたそうです。
「入浴も洗面も朝日のさし込む中の方が、気持ちがいいもの」
「あなたも私くらいの年齢になるとわかるわ」
「明るくゆったりと読書ができる書斎」という、ご希望に対し、
その書斎の心地よさのためには、さらに快適な水回りスペースが、
書斎の隣りに欠かせないということで、私は応答したのでした。
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庭の眺めが一番いい場所が、Hさんの定位置となりました。
ソファーの後ろにある引き戸を開ければ、トイレのある洗面室です。
好きな読書に没頭したあと、横になりたくなった時は、
書斎の手前にある寝室のベッドまでは、数歩歩くだけです。この様な
配慮があってこそ、心地よい時間を過ごせるのではないでしょうか。
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「ひとりひとりの居場所があり、大切なものに囲まれる暮らし」、
それを支えるためのひとつひとつの工夫を、「ユニバーサル」とか、
「バリアフリー」という言葉で、ひとくくりにしたくはありません。
いかに心地よく暮らせるのか、そのことを追求していった結果が、
この住まいであり、バリアフリーであっただけなのです。
住まいてがHさんでなければ、違う住まいとなったことでしょう。
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Hさんに障がいがあるのか、ないのかが、一番大切なことではなく、
Hさんが心地よく暮らせる住まいを、どの様に実現させるのかが、
私の仕事の目指すところです。私が生かされている意味なのです。