9320_田んぼの中の神社で、ずいぶんと昔に祈っていたことを思い出す
田んぼの中にぽつんと、島のように浮かぶ小さな神社が目に入ると、急遽インターチェンジから降りて、その方向に行先を変えました。やや生真面目な鳥居をくぐり、田植えの始まった田んぼの中の参道を進みました。神社の前で手を合わせると、ずいぶんと昔にも、こんな祈る気持ちでいたことが、ふと思い浮かぶのでした。
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20才頃の、設計事務所に勤めていた時の話です。先輩たちと一緒に製図台に向かって設計をしていると、度々、所長の友人たちが常連客のように訪ねてきました。中でも私が一番苦手だったのは、『やあ、労働者諸君!』と、寅さんよろしく、声の大きな地元では名の知れた方でした。
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その掛け声は、私たちからひと笑いを取ろうとしての言葉だとわかっていたし、経営者として才覚のある方だとも、わかってはいたのですが、私はその方が苦手だったのでした。
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なるほど、経営者の立場から見れば、私など、ただの労働者にしか見えなかったかも知れません。ですが、設計事務所に入社し2年目の私は、私自身のことを、労働者ではなく建築の修行僧だと思っていたので、労働者という言葉に敏感に反応したのでした。
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当時、下っ端だった私の担当は、数ある建売住宅の製図でした。あらかじめ手書きの間取り図をわたされ、細かい指示を受け、私がデザインできる部分はほとんどなく、それは「設計」というには、あたらないものだったのかもしれません。
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唯一私にできること、それは「この住まいで暮らす家族さんたちが幸せになるように」と祈ることでした。私は労働者ではなく、建築の修行僧なのでした。建築を愛する修行僧なのでした。
私は、製図板に貼った A2サイズのトレーシングペーパーに向かい、出来上がる建物を頭の中に作りあげ、大工が一本一本の木を組み上げていくような気持ちで、一本一本の線を引きました。
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その祈る気持ち、愛する気持ちを、35年たった今でも持ち続けていられます(途中、そうでない時期もありましたが...)。それは私の才能というより、そう思わせてくれる、住まいてさんと出会えているからなのです。
私はお陰さまで 33年間、住まいづくりの仕事をさせてもらい、あと 27年続けることが私の目標です。ですが、祈る気持ち、愛する気持ちを持てなくなった時、私は潔く、この仕事から身を引くつもりです。
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