9239_The_child_is_father_of_the_man(こどもはオトナの父)
まるで子どもが一心に描いた様な自由なモザイク壁画。丸の内の東京會舘のロビーに入ると目を奪われ近づき、思わず手で触れてしまった私もまた、子どもそのものだった。なんて自由なんだろう。なんて迷っていないのだろう。「私の中の小学生」子どもの心を持ち続けるとは、こういうことなのか・・・
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#子供のころの純真な心を #いつまでも持ち続けたい #こどもはオトナの父
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親戚一同で新年会を開こうと、2010年2月に丸の内に集まり散策をした。おすすめのスイーツがあるからと、東京會舘に入った。エントランスの正面奥の壁画と、私は対峙した。近づくとそれは描かれたものでなく、白や赤のモザイクタイルが散りばめられた、鮮やかなモザイク壁画だった。『都市・窓』猪熊弦一郎。
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「早く来てよ。みんな喫茶店で待ってるよ・・・」と、モザイク壁画の前でいつまでも立ち止まる私を、家内が迎えに来た。「わかった」と返事をした。そうだと私は思った。司馬遼太郎から小学校教師への手紙の中にあった、「こどもはオトナの父」とはこのことなのだと・・・
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「こどもはオトナの父」
ふしぎですね。小生は8月で七十という頽齢(たいれい)ですのに、
中身にはたっぷり小学生がいます。
「こどもはオトナの父」という英国のたれでしたか、
そのように言ったことばを思いだします。
私の中の小学生が、物や事を感じさせてきて、
私のなかのオトナが、それを論理化し、
修辞を加えてきたに過ぎないのかと思ったりします。
神山育子『こどもはオトナの父―司馬遼太郎の心の手紙』朝日出版社 1999
著者(小学校教師)は、司馬遼太郎の「洪庵のたいまつ」と「二十一世紀に生きる君たちへ 」を、授業の教材にした。授業を終え子どもたちの感想を司馬遼太郎へ送った後、司馬遼太郎から届いた心温まる手紙だ。今も時折読み返している。
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「英国のたれ」とは、イギリスの詩人、ウィリアム・ワーズワースのことで、「こどもはオトナの父」は、詩「虹(My Heart Leaps Up)」の中に見つけたた。
「The child is father of the man」
空にかかった虹に自然の偉大さと、
それを前にした人間の敬虔な気持ちの大事さを歌う。
The Child is father of the Man は、
文字通りには「子どもは大人の父」という意味だが、
子どもの頃に抱いた抱負が、その者の大人になったときの姿勢を、
きめるということをいいたいのだろう。
ウィリアム・ワーズワースの詩「虹」My Heart Leaps Up を読む。(壺齋散人訳]
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もっとも、心にコドモがいなくなっている
オトナがたくさんいますが、それはもう、
話すにも値いしない人間のヒモノですね。
神山育子『こどもはオトナの父―司馬遼太郎の心の手紙』朝日出版社 1999
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「三つ子の魂百まで」と言ってしまうと、少し意味が違うように感じる。子供のころの純真な心を持ち続け、そこから学びとったことは後に大人になったとき、様々な場面で有形無形に表れていることと思う。
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生きること・愛すること・私の仕事(@9239,#life,#love,#lifework)2025/10/3