私も障害を持っていると気づくこと
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ユニバーサルデザインの提唱者、ロナルド・メイス最後のスピーチの中の、「ユニバーサルデザイン」について定義する場面を読み、私は自分自身を普通、健常者であると考えていることに、疑問を持ちました。
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「ユニバーサルデザイン」は、広くユーザーを定義します。
障害を持つ人々ではなく、全ての人々に焦点を当てています。
誰もが障害を持っているという考えを前提としているからです。
私たちは皆、認めたいか認めたくないかに関わらず、
年齢を重ね能力を失うにつれ、障害を持つようになるからです。
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普通であることとは、完全で、能力があり、自立していること。
「私には障害がある」とか「私は歳をとっている」というのは、
この社会では、ネガティブなことだと言われています。
普通と思われている人未満の人を、我々は軽んずる傾向があり、
「誰もが普通という定義に当てはまる」という、間違った前提
に立ち、デザインすることは正しくないことです。
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「障害者」と「健常者」という言葉は、対比する様に使われていて
障害を持っている人と、それ以外の人を分け様とする世間の常識を
ロナルド・メイスは、打ち破りたかったのではないでしょうか。
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50代半ばとなった、私自身で考えてみます。
日々現場に通っていると、以前より疲れやすくなりました。
何よりも困るのは、スケールの1mm目盛りが読めないことです。
メガネを掛けなかった私は、老眼鏡が手放せなくなりました。
老視です。いわば「視力に障害」ができたのです。
「私自身は健常者なのだろうか」の答えは、私もまた
「障害を持っている人」だということなのです。ですが、
老視という、視力障害を持つ身となりましたが、メガネにより
今までと同じ様に、私は仕事をし、生活することが可能です。
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「メガネ」。私はメガネから、「車いす」を連想しました。
「メガネ」が、老視という視力障害を補ってくれる様に、
「車いす」が下肢の機能障害を補ってくれる。なるほどメガネは、
車いすユーザーにとっての、車いすと同じなのかもしれません。
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「メガネ」を必要とする人を「障害者」とは、言わないのに、
「車いす」を必要とする人を「障害者」と、言うのでしょうか。
それは下肢の障害を持つ人は、「車いす」を利用するだけでは、
まだ、自由に移動できないからではないでしょうか。
建物や歩道、交通機関など、段差を始めとした様々なバリアが、
その人の周りに、まだまだ残っているからです。
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「障害」の定義は、その人にあるのではなく、
その人の周りの環境によって、決定されるものでしかない。
そして、それは『変えられる』ものである。
「障害者」と「健常者」とを分かつもの。私はそう考えました。
だとすると、私の生業である「住まいづくり」によって、
視力障害を持つ人を、「メガネ」が障害者と言わせない様に、
車いすを必要とする人を、「住まいづくり」によって、
「障害者と言わせない様にできる」と、私は信じています。
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私のいつも住まいづくりの仕事で、「障害の有無」に関わらず、
ひとりの住まいてさんとして、お迎えしているつもりです。
障がいがあるのかないかが、一番大切なことではなく、
住まいてさんが心地よく暮らせる住まいを、どう実現させるか
私の仕事の目指すところであり、私が生かされている意味です。