ひとりに向かってつくること
私の仕事の大半は住宅ですが、時折、大きな建物の設計のご依頼を頂いくと、やはり建物が大きくなると、設計も難しくなっていきます。来年度、保育園を造らせてもらえる機会を頂いたのですが、中々プランがまとまらなくて困っているのですが、そんな時はこう考えていきます。
「自分が通いたい建物をつくること」
自分なら、どんな保育園、幼稚園に通いたいのか、
自分が通いたい建物にすること。
私は幼稚園に通っていた頃から社交的ではなく、
部屋の隅で折り紙ばかり折っていたので、
「折り紙はもうおしまい。みんなと外で遊びなさい」と、
先生によく怒られていました。
園庭の様子がわかり、明るく風通しのいい所で、
みんなの気配を感じながら、折り紙を折りたかったです。
ちょうど、こんな縁側の様な所で。
「ひとりに向かってつくること」
今度の保育園の計画は、90人の定員です。
主役はこの子どもたちだとは思うのですが、
間取りがまとまらない
ふと気づいたのが、
大勢の子どもたちに向かってつくるのではなく、
誰かひとりのためにつくる
大勢の子どもたちの建物を造るのではない
どうか誰か一人に伝わりますように、という思いながら設計を進める
それは、
住まい
ロマンティックな建築家の
特段の思い出とならなくてもいい
その後、たくさんの楽しいことが待ち受けているので、
通過するだけ、保育園な
大衆に向けて消費される言葉ではなく、
ほとんどの子どもさんにとっては、
誰か一人の思い出になってくれる保育園
ために残り続ける場面を紡ぎたい
建物とりわけ、住宅の設計で大切していることがあります。
それは、ひと