二月三十日の監査
二月三十日の監査
雪は降っていなかった。にもかかわらず、依頼人は雪の感触を指先にのせて持ってきた。氷砂糖を砕くような音、頬に刺さる針の角度、靴底に残る湿り気の比熱まで、細部は妙に正確だ。
「二月三十日の雪です」
初めて会ったとき、彼はそう言った。名は深山凪。年齢は三十七。職業はデータ清掃員。記憶監査庁の応接室で、彼は掌を伏せたまま続けた。
「なくしたんです。返してほしい」
二月に三十日はない。暦の教科書は定規のようにまっすぐそう答える。だが、私たち監査官の仕事は、まっすぐなものに曲がりの許容量を与えることだ。記憶は観測で変形する。しばしば変形こそが真実を照らす。
「どんな日でした?」私は尋ねた。
「朝、団地の裏の緑地に出たら、静電気みたいに空が鳴って、雪が逆さに舞って。妹が笑ってたはずなんです。顔は思い出せないのに、声のピッチだけが耳に残っている。A4の紙で言えば440ヘルツから半音上くらい。……ただ、その日付が、二月三十日だった」
彼は約束の書式に従い、該当のエピソード周辺の連想を列挙した。匂い、温度、足場の硬さ、衣服の素材。どれも測定可能な領域と、測定を拒む領域の縫い目にかすかな手触りがある。
私は端末に彼の提供した断片を接続し、庁の冷蔵庫(そう呼ばれているが実際は量子エラー訂正つきの記憶保管棟だ)から、同期間の都市環境ログと公共センサー群の観測値を引き出した。
「先に言っておくと、私は奇跡の製造はしません」
「知ってます。監査庁は再構成まで。捏造はしない」
「ありがたい。では、まず暦の話をしましょう」
暦の継ぎ目
2022年に決まったとおり、2035年に閏秒は廃止された。世界はずれた秒を野放しにしないために、別の調整方法を採用した。分散する標準時、都市ごとに微妙にずれを吸収する柔らかい暦。
東京湾沿いの自治体は、その対応のために「緩衝日(バッファ・デイズ)」という奇妙な制度を試行した。暦の表には現れない、システム内部でしかカウントされない補助日。エネルギー需要と交通制御の山谷を丸めるために、ごく短い時間帯を一日に重ね書きする。市民はそれを実感しないはずだった。はずだったが、人間は「はず」に弱い。無意識の段取りに小石を一つ投げれば、水面は波打つ。
私は庁の端末から緩衝日のログを呼び出し、凪の居住区で記録された微少な時間付箋の痕跡を重ねた。ある冬の朝、システム側で「二月二十九日の二回目の朝」が透かしのように挿入されている。表向きの暦は二十九日、裏側の管理台帳では「二月二十九日、α層」と注記が付く。利用者の大半は気づかない。しかし稀に、二回目の朝を一度目と区別してしまう人がいる。頭の中の暦が、自動的に「三十日」を作ってしまうのだ。
「あなたの二月三十日は、おそらく二月二十九日のα層です」
「それなら、なぜ雪が?」
「それをこれから検証します」
痕跡収集
環境ログは雪を示していない。気温は摂氏五度。降水は細い雨。静電気の鳴りもなし。
だが凪の指先の記述は、雨の粘度ではなく雪の乾いた裂け目を指す。虚偽の確信はたしかな手ざわりをもつ。虚偽を嘘と決めつけた瞬間、調査は終わる。私はいつも、虚偽を虚偽のまま観測してみる。
「妹さんのことを、教えてください」
「二つ下。小さいころから病院続きでした。二十七で亡くなって……いや、亡くなったはずなのに、時々、その先を思い出します。三十になった妹が、新しい靴を見せてきたり、近所の猫に名前をつけたり。全部、二月三十日に出てくる」
喪失は脳の中でバグとして生き延びる。計算機科学の言葉で言えば、検証不能なリンクが参照され続ける。リンク先がないのに、ポインタだけが温かい。
私は凪の語りから、妹の声のピッチ、歩幅、話題の癖を抽出し、庁の音声模倣器に投げた。禁じられてはいない。禁止されていないことが常に倫理的かは別問題だが、私は監査官であり、神ではない。模倣器は、彼が主張するピッチの周辺でいくつかの声帯モデルを生成した。そこに、都市の雑音ログと、再現した緩衝日の気流シミュレーションを合わせる。できることは、世界の条件を並べ、その中で記憶が落ち着く場所を探すことだけだ。
結果は、雨の音に一部、雪の特性が混入していた。湾岸の工場が、水蒸気を含んだ微粒子を一時的に大量に吐き出した時刻と、緩衝日の風向きが重なっていた。粒子は雪ほど冷たくはないが、肌に触れると似た刺さり具合を生む。路面は濡れ、靴底には冷たい重みが残る。雪の擬態。
さらに、団地の緑地に咲くクロッカスが、その年だけ異様に早く芽を出していた記録がある。気象庁のデータではなく、近所の自治会が育てている花壇のIoT温度計のログだ。花の早足は、冬の背中に穴が開いている証拠になることがある。凪の「逆さに舞う雪」は、実際には花粉と乾いた霧雨の乱反射だった可能性がある。静電気の鳴りは、近くの非常電源が試験運転をしていたノイズと一致した。
私は断片を綴じ、報告書の草稿を作った。そこに、誰にも見せない付記を置く。
——それでも、これだけでは足りない。足りないのは、妹の笑いだ。
証跡の外側
監査庁の仕事は、誰の魂のためにも設計されていない。公共の装置は、個人の救済に対して慎重であるべきだ。けれど、慎重であることと冷淡であることは別物だ。
私は翌日、凪に連絡した。
「緩衝日のα層は確認できました。環境要因による雪の擬態もほぼ説明できます。ただ、あなたが求めているのは因果の整列ではなく、帰属の回復でしょう」
「はい」
「記憶の返還には、もう一段の再構成が必要です。方法は二つ。ひとつは、あなたの記憶の空白に、私の作った仮説の束を流し込んで、あなたが自分で語れる物語にする。もうひとつは、都市の台帳側に『二月三十日』を公式に刻む。後者は前例がない。やるなら、物語の力を借りる」
「物語?」
「都市の暦は、物語の合意でできています。『みんながそうだと言っているから、そうだ』という構造の極致です。ならば、みんなが『二月三十日はあった』と一度だけ合意すれば、あなたの記憶は参照先を取り戻す」
彼は黙った。対面の静けさは、通信のラグのように伸びる。
「できるんですか」
「監査庁の中ではできません。だから外でやる。私は非公式に動く。あなたはここで待っていてください、とは言えない。あなたの物語です。同行を」
倫理委員会に提出すれば粉々にされる提案だ。私は、誰にも出さない報告書のもう一枚上に、さらに白紙を重ねた。
物語の設計
都市記憶館の地下、暦を縫合する部署がある。公称は「調停課」。内部では「針子(はりこ)」と呼ばれている。彼らは祝日名の改名や、交通網の運行改定にともなう日付の注釈を淡々と処理する。そこは法律と物語の給湯室だ。
私は旧い友人の針子を訪ねた。
「非公式に一日を差し込みたいの」
「お断りだ」
返事は早い。友人は抹茶を点て、私の目をのぞきこんだ。
「ただし、非公式に『みんなが勝手に差し込んだ』ことにしたいのなら、別件だ。何をしたい」
私は凪の話をした。二月三十日の雪、妹の笑い、失われた参照先。友人は湯呑を置いた。
「短編を、三千本。都市のあちこちで、一日にわたって朗読する。郵便受け、団地の掲示板、電車の中、スーパーのレシート裏、配信者の雑談。テーマはすべて『二月三十日』。それも、雪と笑いが必須。文体はばらばらでいい。できるか」
「集められる」
「なら、暦は勝手に傷を負い、勝手に瘡蓋を作る。瘡蓋の下に、二月三十日は残る。公式記録ではない。だが参照先になるに足る厚みができる」
三千。紙の匂いが好きな詩人たち、タイムラインの波で生きる配信者、退屈を宝に変える高校生、夜勤明けの看護師、昼休みのサーバー管理者。私は思いつく限りの言葉の担い手に連絡した。報酬は出せない。出せないかわりに、私は正直に言った。
——一人の記憶のための都市的共同幻想をつくってほしい。
文章は集まった。三千に届いたとき、暦の表面に薄いざわめきが走った気がした。気のせいだとしても、それで十分だ。
朗読の日、都市はささやいた。「二月三十日」。給茶機の前で、横断歩道で、体温計の前で、猫の耳のふちの温度に触れながら。物語は証拠にはならない。だが、参照先になる。
返還
三月一日の朝、私は凪を緑地へ連れ出した。空気は湿り、曇天は低い。
「ここで。目を閉じて。聞いてください」
私はポータブルのスピーカーを置いた。中には三千本の朗読から抽出された「二月三十日の特徴語」が、ランダムに継ぎ目なく流れるよう仕掛けが施してある。雪、笑い、針のような冷たさ、逆立つ毛皮、落ち葉の鏡。言葉は世界の周波数を少しだけ変える。
凪の肩がかすかに震え、やがて呼吸が深くなった。
「思い出しました」
目を開けずに、彼は言った。
「妹は、雪を見て笑ったんじゃない。僕が、雪が降ってくるみたいに言葉を降らせているのを見て笑ってた。僕は意味のない言葉を、ばらばらの雪みたいにばらまいたんだ。雨の中で。妹はそれを『雪』って呼んでくれた。だから雪だった」
彼はゆっくりと目を開け、曇り空を見た。
「あなたが返してくれたのは、雪ではなく、名前だったんですね」
「物事に名前がつくと、世界はそこに座る場所を見つけます。あなたは『二月三十日』と呼んで座った。都市は背もたれを足しただけ」
「妹の顔も、少しだけ戻ってきました」
彼は涙を拭いた。
私は返還証書を発行した。公的には無意味な紙切れだ。だが、その紙は彼の参照先だ。参照先がひとつあれば、次が来る。記憶は帰巣本能をもつ。
閉じられた日付
朗読のあと、暦の針子たちは内部台帳に小さな注記を加えた。「本年、非公式に二月三十日の参照が複数確認された旨」。公式記録ではない。だが、誰かが見れば、それは合図になる。
都市の暦は柔らかい。柔らかさは危ういが、いのちを支える。硬い暦は安心を与えるが、折れたときに直せない。私たちが選んだのは、折れる前にたわむ暦だ。
仕事に戻る途中、友人の針子からメッセージが届いた。
「二月三十日、来年はどうする?」
私は返した。
「閉じる。これは誰か一人の帰還のための臨時の橋だった。恒久化すれば、たちまち観光地になる」
「了解。では、内部注記はあくまで注記のままに」
「頼む」
事後監査
その週、監査庁に匿名の投書が届いた。
「監査官が個人のために制度を曲げた」と、ぴしゃりとした筆致で告発している。私は上司に呼ばれた。
「やったのか」
「やりました。制度は曲げていません。制度の外側で、物語の手続きを踏みました」
「……報告書を二つ出せ。ひとつは庁用の事実報告。もうひとつは、あなたの物語を、あなたの責任で。後者は庁には残さない。あなたの机の引き出しに残しておけ」
私は頷き、机に向かった。庁用の報告書は淡々と書けた。緩衝日、環境ログ、擬似雪、音声模倣、集団朗読による参照先の再構成。そこに評価はない。
もうひとつの報告書、物語のほうは、少し時間がかかった。そこには「妹の笑い」に関する私見を書いた。笑いは測れない。測れないが、指先で触れることはできる。触れた証拠は他者には渡らない。だからこそ、物語が必要になる。他者に渡せない触覚の説明書が、物語だ。
エピローグ
春が来るころ、凪から短いメッセージが届いた。
「花壇のクロッカスがきれいです。妹は毎年、二月の終わりに咲くのはずるいと言っていました。ずるいから、嬉しいのだと」
彼は新しい靴の写真を一枚添えていた。靴底には、わずかに乾いた泥がついている。二月三十日の泥だと彼は言うだろう。私は、うなずくことにした。
都市の曆は今日も柔らかい。針子たちは相変わらず丁寧で、監査官はいつも少しだけ傲慢で、詩人たちは暇さえあれば言葉を降らせる。
いつか別の誰かが、三月三十二日や、午前二十五時や、夕方零時を持ち込むだろう。そのとき私はまた、暦の端を指でつまみ、たわませ、戻す。曲げるのではなく、座らせるために。
雪は今日も降っていない。にもかかわらず、私は雪の音を知っている。二月三十日の雪は、世界が一度だけ許した余白の音だ。そこに座った誰かのために、私たちは椅子を置いた。椅子はもう片付けたが、座り方は覚えている。次の余白のときのために。