黒牢城
王とサーカスの時も感じたけれど、話の骨子がとても固い
話の80%くらいまでは全容が全く掴めないのに、最後の20%で一番最初まで遡って一気に話の全景を見渡すことができる。
推理小説を全然読まないから他と比較できないけれど、めちゃくちゃ裏切られた!というよりはアハ体験のような感覚になる。
登場人物との関係性で言えば王とサーカスに近いところがあった。
探偵に対して導きと破滅の両方をもたらすという意味では官兵衛はサガルと似た立ち位置にいる。
また、探偵役である村重がどこか頼りなく、底知れた感じである部分も(そこ知れた、というのは王とサーカスの後書きで作者も言及していたので多分狙い通りなんだろうけど)王とサーカスの万智を思い起こさせる。
骨子で言えば、やはりこれは風説と信仰にあったと言える。
風説は信仰のもとに折り曲げられ、脚色されながら広まっていく。そしてその風説が強固だった信仰を簡単に揺らがせる。
話を通しても、当初は強固であった村重に対する絶対的な信仰が、事件と風説の流布によって別の信仰にとって変わられていった。
序盤で村重自身の視点として、城主に対する信頼こそが城の堅さそのものであるという前提が立てられ、その信頼の揺らぎが落城に向かっていく様が手にとるように感じられた。
ちなみに、このための描写としての時代背景の説明はとても良かった。代々の地盤であること、あてがわれた地であること、カリスマ性があることという天下を跋扈する3つの条件があり、村重はそのうちの2つ目であった。だからこそ代々の地盤を守りたい御家人たちにとっては村重がその責務を全うできないと見れば軽んじるのは必定だった。下克上の時代背景にあって村重が成り上がれた理由こそが、村重が勝てない理由にもなった。官兵衛はここを見抜いていたからこそ、自分の計画をたやすく練り上げることができたのだろう。
ただ、信仰の部分は概ね納得できたものの、風説に関する部分はまだあまり理解できていない。犯人の目的はどんな形であれ神罰が存在することを知らしめることにあったが、これはなくても話が成立したように感じられる。もっとも、この神罰は犯人の意図によらず結果的にはどれも右翼的に作用したため、進めば極楽退けば地獄という教えを強調した。これによって万が一にも降参などあり得ないという雰囲気を作り出して、消極的な城主への信仰を揺らがせた。官兵衛はいずれにせよ、自念が殺されるところから報い、神罰という形で村重が追い詰められることを予見していたのだろうか