魔女の旅々
アニメ版を視聴。
話の構成とか主幹の部分は割とポップというか今風な感じがあるけれど、それぞれの話自体は後味に癖があるなという印象を受けた
割と主人公のイレイナの立ち位置が傍観者よりというか、まさに旅行誌の語り部であるような視点で動いていて、この辺の本質的な無関心さが感じられた。これを狙って作っているとしたらこのアニメは結構すごいかもしれない。
そもそもイレイナ自身の行動のモチベーションは「ニケの冒険譚」への憧れと、それをなぞることで、一つ一つの話はもちろん全てイレイナに何らかの影響や感動を与えているのだが、これが最終的には自身の冒険譚として丸められることになるし、おそらくそれ以上の価値が生まれないようになっている。
つまりは、一つ一つの話は冒険譚の深みを出すためのもので、積み重ねとかそういうものがあるわけではないのかなと思った。
旅といえばキノの旅とかがあるけどあの辺とかも見て比較してみたいかもしれない
これを見るまで、「旅もの」というジャンル自体はその世界での情報の流通がかなり少なくないと成り立たないなと思っていた。(未知な要素が多いか、主人公が他の人に比べてなお無知であるような)
けどどちらかというとその辺は割とどうとでもなって、どちらかというと一つ一つのエピソードを人間臭いものにするとかの方が話は作りやすいのかなと思った。
魔女の旅々でも、旅先で起こる一つ一つのミステリーを魔法という法則と世界観に押し付けてあとは人間臭いエピソードで話を作るみたいな形になってる。
だから魔女の旅々の圧倒的に偉いところは世界の不思議というものを作ってそれに挑戦させるみたいなことを一切していない部分だなと思った。
この辺は #葬送のフリーレン もかなり上手くて、こっちは世界の不思議みたいなものはあるがそれをラフテル(ラフテルというのは旅の最終目的地のメタファーとしての)に置いておくことで話の進行自体には特に影響を与えていない こういう一話完結で話の目的地がなくていろいろな他人との関係性を結ぶみたいな話は旅もの以外だとミステリーとかになるんだろうか(ミステリーといってもシャーロックホームズみたいなシリーズになっているもの)
日本のドラマだと医療もの・裁判もの・刑事ものとかもこれに当てはまる