米澤穂信
連鎖式
明治断頭台
本当の動機とそれに隠されるアリバイ
王とサーカス
満願
黒牢城
夏季限定トロピカルパフェ事件
愚者のエンドロール
時代、世界を問わない普遍性
エリス・ピーターズ「修道士カドフェル」
修道院に駆け込むと逮捕できない
黒牢城
時代背景をもつ動機
入り込むための語彙
鉄塔 武蔵野線
折れた竜骨
レジナルド・ヒル
煙の殺意
鏡は横ひひび割れて
米澤穂信先生についてです
米澤先生はミステリー作家で、代表作に「古典部シリーズ」「小市民シリーズ」「王とサーカス」などがあり、あらゆる舞台設定でミステリーを書かれています。
「古典部シリーズ」や「小市民シリーズ」は高校生活が舞台になっていて、青春ものという括りにすることもできるようなものですが、「折れた竜骨」は12世紀を舞台にしたファンタジー、「黒牢城」は16世紀の戦国時代を舞台に歴史小説風に書かれています。(おそらくSFやループもの異世界転生もの以外は書かれているのではないでしょうか。)
この中で私が読んでいるのは「古典部シリーズ」「小市民子シリーズ」「ベルーフシリーズ」「満願」「黒牢城」になります。
一番新しいものが「黒牢城」になりますが、ふと気になって読んだところとても面白く、これをきっかけに他の作品も少しずつ読んでいるというところです。
様々な技法を駆使されて書かれているとは思うのですが、私自身あまり推理小説やサスペンスに造詣がないので自分の感じた範囲で米澤先生の作品のポイントを書こうと思います。
米澤先生の特に素晴らしいところは、「動機付け」の部分になります。
「動機付け」をうまくやることで、読み手はより犯人の動機を想像することができるようになり、作品への没入かんを高めます。良い「動機付け」はトリックと同じくらいミステリーにおいては重要で、これは「why done it」というより「動機付け」に重きをおいたジャンルが存在することからもわかります。「ABC殺人事件」などがこのジャンルにあたります
米澤先生も、あらゆる舞台設定において、その舞台背景に寄り添って筋の通った「動機付け」をされることが多いと感じます。
しかし、米澤先生の「動機付け」はそこからさらに一味を加えています。それは「動機」の解明によって事件のあり方、ひいては作品のテーマにおけるあり方を変えてしまうというものです。それは犯人の真の目的を明らかにすることもあれば、真の犯人(敵)を明らかにすることでもあります。
以降は例をとりながら、そのポイントについて話したいと思います。
柘榴
石榴は短編集「満願」の一編で、2子を持つ夫婦の離婚をテーマにしています。
ほとんど家に帰らないホスト(作品では明言されていませんが、風俗業の類だろうと推測できます)の夫(成海)と子供をほとんど一人で育ててきた会社員の妻(さおり)が親権を争うというもので、序盤は妻を視点に物語が始まります。成海は女たらしとはまた違うとは思いますが、女性を惹きつける性質を持っていて、さおりは学生時代に多数のライバルに抜け駆けて結婚を達成しました。さおり自身の視点から「彼との結婚は私のトロフィーだ」と説明されています。そして裁判所によって下される判決は、当然妻である自身に親権が渡るものになるだろうというところで視点が変わります
この話は成海に親権が渡るという形で幕がおります。理由はさおりの子供に対する暴力です。もちろんさおりは暴力を振るっていませんから、これは子供自身が計画的にさおりを陥れたということに他なりません。問題はなぜそんなことをしたのか、です。この作品における敵(犯人ではない)である成海は、結果的には自分の手を下さず、それどころか能動的な働きかけを全くすることなく目的を達成しました。成海自身は常識的には勝てるはずもない裁判をして、全く手も出していないのです。この彼が勝てた理由はまさに「動機付け」の部分であり、この作品の仕掛けはこの動機付けを成海に対してしないことでした。結局この「動機付け」がそのまま犯行のトリックになってしまいますから、素晴らしい技巧だと言わざるを得ないですね。
これと似たような設計の話は「ふたりの距離の概算」などです。この話は千反田えるが敵として犯人の「動機付け」を行います
王とサーカス
フリーライターの万智はなんでもない雑誌のなんでもない特集の取材のためにネパールの首都カトマンズを訪れます
カトマンズを訪れた翌日(正確なところは覚えてないですが...)に、ネパールの王族が王を含めて10名近く殺害される事件が起こります(これはネパール王族殺害事件という史実に基づいています)。万智にとっては転がり込んできた恰好のネタですので、すぐに取材を始めます。
取材は難航していましたが、その中でなんとかインタビューを取り付けることができた一人の将校が、その翌日に殺害されてしまいます。将校は殺害された現場から1キロ(1キロだったかは覚えていないですが、距離はあまり重要じゃないです)も離れた屋外で遺棄されて発見されました。そしてその背中にはナイフで「INFORMER」と刻み付けられていました。彼は王族殺害事件の機密を漏らしたとして何者かの手によって殺害されたということです。そしてその手は、その将校と会っていた万智にまで至る可能性がありました。
事件は結局王族やその部隊とは何も関係なく、万智が宿泊していたホテルの宿泊客の一人でした。(宿泊客には前半でいくつかエピソードが用意されました。いわゆる犯人候補から順当に発見した形です)。犯人の犯行の動機も、結局王族殺人事件や万智とは何も関係のないものでした。
では、なぜこの殺害された被害者は「INFORMER」だったのでしょうか?なぜ被害者は犯人に殺害された現場から大きく離れた場所に置かれたのでしょうか?この真実は最後のほんの数ページで語られていますが、この作品のテーマやここまで読んできた読者の主観を大きく裏切ってくれます。この作品の本当の敵に与えられた「動機付け」によってそれまでの話を一瞬で分解して、足りないパーツも取ってきて繋げてくれるような形ですごく面白い作品でした。
これと似たような設計の話は「黒牢城」「夏季限定トロピカルパフェ事件」「愚者のエンドロール」などです。
自分の印象に残った二つを例にとりましたが、ほとんどの作品でこの「動機付け」は念入りに行われています。特に「石榴」が収録されている短編集「満願」は「万灯」を除きほとんどが動機付けの解明によってトリックを明かします。特に前提となり物語もなく完成された米澤先生の基本みたいなものになっているのでぜひ一読してみてください
また、ミステリーとはあまり関係ないですが意外にもキャラクター設計も自分の好きな部分です。
「古典部シリーズ」は「氷菓」としてアニメ化されたお話でもありますが、探偵役は主人公である折木になります。そして全編を通してのほとんどの依頼人がヒロインである千反田えるです。「愚者のエンドロール」や「クドリャフカの順番」は表向きには千反田は依頼人ではありません。しかし折木が推理をするための「動機付けは」千反田以外には行えません。彼女は飛び抜けた好奇心と厚かましいまでの執着心で面倒がる折木を折らせて推理をさせます。ですから基本的に折木は千反田を収めるためにしか推理をしないのです。
ここで面白いのは依頼人と請負人の目的は明確に異なることです。依頼人である千反田の目的はもちろん「真実を明らかにすること」です、対して折木の目的は「千反田を手早く満足させること」です。この探偵役に対する推理の動機付けが「愚者のエンドロール」で描かれる折木のミスを必然のものにしてくれるわけです。(このエピソード以降折木はミスをしませんが、それは「千反田を満足させるには真実をこそ明らかにする他ない」と学んだからでしょう)
「小市民」シリーズは主人公である小鳩が探偵役です。そしてヒロインである小山内の立ち位置はこのシリーズにおいては基本的に敵役(ライバル)です。あえてその関係性を咀嚼するのであれば、探偵vs.怪盗が僕にとっては一番しっくりきました。
お互いが持つ異常性に対する相互の監視役として行動を共にする二人ですが、小鳩の異常性が探偵的特性を持つのに対して、小山内の異常性はトラブルメーカー特性で、つまり放っておけば事件を持ってきます。お互いに監視役として全く適任でないこともそうなのですが、この特性づけによって終わらない戦いを延々と続ける探偵vs.怪盗のメタファーをコミカルに仕上げているので、キャラクターの立っている青春ものとして読んでもかなり面白いと思います。特に「秋季限定栗きんとん事件」はハウダニットとミッシングリンクを組み合わせたお話になっていてとても読み応えがあります。
他にも凄い点はいくつもあるのですが、ミステリーを全然読んだことがない自分にとっては物語の設計難易度の高さとパターンの創出のアイデアに圧倒されました。氷菓は最高のアニメなので見てね