屋外の派手な色の人工物モチーフ
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こういったモチーフになぜ我々は惹かれるのか?
参照しよう
しかし、展示空間としての室内というニュアンスが伝わると良いです。いわゆる高さを出すための黒子的な役割として白(白子?)が用いられていることに関心をもち、白という要素を取り入れています。ただ、白色をそのまま使うのではなく、外を滑った指で汚れをつけました。今回の作品を真っ白な什器に配置することに違和感があったからです。
道路でも工事現場でも、そこにある物の色には理由がありますよね。工事現場にある赤いカラーコーンを作品に使いたいと考えても、その理由がなければうまくいきません。物体そのものではなくて、たまたま赤や三角の形がほしかっただけに思えてしまう。そうはしたくないなって。
カラーコーンに限らずですが、現代美術の展覧会においてしばしば屋外作業で使われるような電源コードや足場用の単管パイプを展示什器として使う人が見受けられます。学部時代の自分もそうだったので、そうした機器を用いる気持ちは痛いほどわかります。たしかに物自体としてはかっこいい。けれども、明度や質感の関係で作品は見づらくなることが多く、なにより単管は工事現場にあるものであって、部屋の中にあるのは通常はおかしい。作品の内容か、あるいは展示空間の状況に対応しているのでなければ、単純に見てくれの消費になってしまうのではないか、と自分は思います。今回の展示は板垣什器も石崎什器も、状況や作品内容にそぐうよう、必要な手を加えていますよね。
胃が痛い
まあそれはそうと美術をやる時に工事現場のそれを使いたいという気にもならない