かわってる
自分で「変わってる」と云う人ほど凡庸だという話を高校の時に聞いて以来、自分は変わってると思ってるけど、それ故に凡庸なのだろうと20年以上過ごしてきた。しかし、自分は凡庸なはずなのにどこへいっても「変わってる」と言われるし、自分に似ている人は全然いないし、どこいっても感覚が違いすぎて分かり合えない事ばかり。。自分は普通で平均なのに、それすらできてない人がいるし、いやむしろできすぎる自分は欠陥品なのか、と 本当に随分病んだけど 結局僕は普通の一般的で凡庸で平均的な人間じゃなったんだな。それも相当に。と理解した。そして開き直ることにした。そんなことを決意していた。人と違うことを恥ずかしいと思わない。つらいとか痛いとか思わない。恐れない。
PTA的な学校役員の仕事の時に、本当に自分の「普通」じゃなさがすごく出るよね。最近は、そう。 性差があるかはわからないけど、僕は女社会にずっといて女社会のマナーはよくしてるけど、本質がそれじゃないから心の底から共感できないし、自分だったら絶対違うやり方がいいと思うこともある。 そう云うこととかね。 いちいち劣等感持ってたんだけど。 気にしない。 他人とのコミュニケーションの取り方も。 女社会のマナーはよーーーーく身に付いて、女の人にぎりぎり仲間はずれにされない所作は身についたけど こう云うのもなあ、もう捨てたい。
結局、小1、3、4、中1、とボッチで、(中2は男子にいじめられ)中3ー高3までは気が合わない子と無理やり一緒にいることでぼっち回避して、 てので、根っこの部分で女子が怖いんだなあと思った。もちろん友達になってくれる子たちは優しくて気のいい子ばかりだけど。女社会ってものがものっすごい怖いんだなと思った。潜在的に恐れてる。女性ばかりの創作界隈もめちゃくちゃ怖い。
でもそれって、男の人が考えてるような「女社会の怖さ」じゃなく、漫画で描かれるようなあれじゃない。 ああいうのってセンセーショナルでおもろいと思うけど、僕はあの手の人間遭遇したことがない
女の人って危機管理能力が高いと云うか、危険察知センサーがものすごく発達してるんだと思う。そういう人が多い。 だからまず、「異物」に対して警戒する。自分に害をなす異物か、そうでない異物か。無害な異物だと判定されるまでは、仲間に入れてもらえない、排斥される。 僕はもうどこ行っても何してても自然にしていると異物。ファッションも趣味も。興味も。妙に勉強ができるところも多分そうだった。妙に仕事ができることも。そして結局、男(ftm)だったんだからそりゃ異物だよな。 僕は「無害な異物ですよ!」ってアピールするのに必死で。自分を失う術を覚えた。自分の言葉を封印して、相手の言葉でしゃべること。同じ言葉を使えば、意図に悪意がないと伝わるから。同じ絵文字をわざわざ使ったりとかそういう努力。
何か共通言語が見つかったり、中身がなくてもなんとなく話が盛り上がって一緒に笑い合えれば無害認定されるから、そういう所作を取るのが非常に上手くなった。
けどこういうことやるのもうやめたい。やめる。 普通にしてる。 僕の普通でいる。自然でいたい。
2014/5/10
#閑話休題