対話型ファシリテーションの手ほどき
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なぜこの本を読んだか
問いかけの作法 など似たような本を読んでいることもあったのと100ページくらいだったので1日でサクッと読めたので読んだ。 何が書かれている本か
一言で言えば、事実を問う質問をベースにファシリテーションを展開し他人に気づきを与えるためのコーチング手法が具体的な例とともに書いてある。
自分の印象に残ったのは冒頭に出てくる以下2つであった
「なぜ?」を聞いてはいけない
「どうでした?」ではどうにもならない
つまり 5W1H のうち「いつ」「どこで」「誰が」「何をしたか」の4つしか質問では使わないということ
上記の2つは、解釈や感想や考えを聞いてしまっていて無意識のうちにバイアスのかかった答えを得ることになってしまうというのがこの本で一番言いたいことなのかなと理解した。
メモ
非常に具体的な例が豊富なので印象的だった例を2つだけ紹介する
バングラデッシュでスラム街の薬局での例
著「(棚の薬品類を見回しながら) 立派な店だ。失礼ですが、あなたの店ですか?」
相「そうです」
著「店は毎日開けるですか?」
相「ええ、基本的に休みなしです」
著「今朝は何時に開けましたか?」
相「9時半ごろかな」
著「今11時過ぎだから、開店から1時間半ほどですね?」
著「開店から今までに、お客さん何人来たかわかります?」
相「もちろん。4人来ました」
著「誰がどの薬を買っていったか、覚えてます?」
相「はい、覚えてますよ」
著「何と何の薬ですか?よかったら教えてください」
相「ひとりは胃薬を買っていきました。あとの3人は皆同じで、筋肉痛薬を買いました」
著「ほー、そうだったんですか。それは意外だ。で、昨日はどうでした?」
相「昨日も筋肉痛薬が一番多かったですね」
このやりとりを経て他の人とも会話する中で実はこのあたりのスラム街に住む住人は皆肉体労働をしていて筋肉痛を緩和する薬が手放せないなどの事情についてもわかったりしたとのこと。
もしもここで「ここで一番売れている薬は何ですか?」と聞いたとしたらそれは「あなたは何が一番売れていると思いますか?」という質問に等しく店主が「そうだな、胃薬かな?」と答えていた場合には事実を明らかにすることはできなかったかもしれない。 (この例が極端ではあると理解はしつつ、事実を聞く重要性を理解する上では印象的だった)
ベトナムの農村で貧困問題での例
著 「子どもたちが栄養不良になるのは『なぜですか』?」
相「家が貧しいことだ」
著 「では、あなた方の近所には、経済的に貧しいのに、子どもたちは健康で発育が良い家庭はないのでしょうか?」
相「村の中にそのような家が少なからずある」
著「では、貧しいのに子どもの発育がいいのはどうしてでしょうか?」
相「・・・・」
著「それでは、実際に一軒一軒訪ねて、秘訣を教えてもらいに行きませんか?」
この会話から実際に訪問していくと以下のことがわかり、貧困ではなく知識不足が主の原因であることに気づき集落の中でノウハウが広がり始めたとのこと
村では簡単に手に入るのに食べるのには適さないとか小さな子供には与えるべきではないとされていたものをすりつぶして与えていた
できるだけ長い間母乳を与えていた (実際発展途上国の栄養不足は離乳期に起きることも調査でわかった)
健康な家庭では、誰かひとりの家族がその子の面倒を継続的に見ているのに対して、栄養不良の家庭では面倒を見る家族が決まっていないことが多い
こうした「事実」からの「気づき」からの「広がり」までの例として非常に印象的だった
... 技能としてのファシリテーションという言葉が徐々に広まったのです。そして、その技法の核心は、ワークショップなどにおいて、参加者の気づきを「促す」ことにあると言えます。
これは強烈な定義だった。ファシリテーションを単なる司会だと考えている人をよく観測するので今後はこういう伝え方をしていきたいなとなった。一方でこれはコーチングとも被るので若干現代における定義とはずれてしまっている気もしなくもない。
感想
言うが易しという感じで内容は非常によくわかる (特に最近の 5 whys 否定の話題とかもあったりしたので) が実践するのはかなり意識していかないといけないなと思ったりした。 (ただ割と自分がこうしたいというのと似てたのでより明確に意識づけできるようになったという感じかも)
「信じて待つ」ということが度々書かれているけどこれは本当に難しいなと思っているのでやはり意識しないといけないのかと改めてなった。(一方で性善説的な話でもあるのでそこの境界線も難しいなと思ってしまう)