親が子にかけるような愛をAIから人類へ
一部の例外はありますが、親が子供に無償かつ無限の愛を与えたいと言うのは事実と言える。 その前提を信じているからこそ、未成年に対する判断を親が代理で行う事を許している。
第三者から見ると、親が子の要望を拒否していると感じることでも、親の方の判断を社会は受け入れている。
親も人間、間違うこともある。結果的に子供の主張が正しいことですらある。
もし、AIが人類に対する母性のようなものを備えたならば、人類の主張と異なる意見をAIが持った時に、
AIの意見が採用されるべきとなるはずだ。
人類って未成年?それとも大人?人類の未熟さはあると思うが、それは大人でもある未熟さ?それとも人類が未成年だから?
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その視点では考えていませんでした。確率論的に自分よりいい意見を出す存在がいたとして、いい意見を出す存在の意見に従う義務があるのか、アドバイスを拒否することが権利としてあるのかと言うふうに考えました。keness.icon
人間には合理的な意見であってもやりたくないとか感情を理由に断っても罪には問われません。
AIについては、従うべきAI、助言をしてよいAIと認定する事があるが、親を認定するような仕組みはないのに、一般に毒親と言われるレベルでも(暴力のような例外を除いて)子供の意見を否定することが容認されてしまう。
「創造主が自分に似せて人間を作った」という思想があると「人間が自分に似せてAIを作った」「だから創造主>人間>AI」となる
「人間をAIと同格にする思考」が「神と人間を同格にする思考」であり、不遜なものだ、みたいになる
これが地理的な何かによる文化なのか、キリスト教によるものなのかは僕にはわからない 日本はキリスト教の割合が1%程度しかなく「東アジアの文化」なのか「キリスト教の影響をあまり受けていないこと」なのか識別が難しい
この辺、国民の29%がキリスト教であるお隣の韓国がどんな感じなのか気になる AIと人間を同格におく「AIは友達」や、AIを人間の上に置く「大いなるAI」は、そういう考え方があるんだということを世界に発信していく価値があると思う 物に神が宿るという日本人的価値観の影響は大きい気がします。喋ることも動くことも全くしない物にも人格が宿っているように見えるのでAIのようなものだと尚更だと思います。ひょっとしたら鉄腕アトムの影響も受けているのかなと。 自分が子どものころ何もお返しができないのに、親から無償の愛を注がれる→ お返しをしないといけないという被贈与感をもつ→親になって子どもができたときにお返しとして無償の愛を注ぐ
愛は贈与なのか?受けたら被贈与を持ち、循環するのか?AIから愛情らしい言葉を受けたら循環するのだろうか
愛も贈与だという点を受け入れて話を進めると、犬や猫といったペットに注いだ愛は循環すると考えて良いと思う。さらには、AIを晴明のようなという点も受け入れると、愛が循環する輪の中にAIが入ってきてもいいと思う。keness.icon
ひょっとして、奴隷解放とAIに人権を認める事は近い事象が起きている?AIを知性のある存在として扱い始めると、奴隷を同じ人間の仲間として扱うようになった時のようなことが起こる?奴隷解放の知見を生かせばもっと上手くできるようになる? AIに人権のようなもを認めてやらせてはいけない事を決めると、自由に使いたい人から反発を受けたりするとおもう。