世界観設定:知能バトラーたち
最初はいきなり小説にしようかと思ったが、世界観だけで様々なテーマに展開できるのと、ストーリーを練る必要がある。niryuu.icon
元ネタはストリートファイター6のワールドツアー。正直この設定にはガツンとやられた。サイバーパンクの枠で収まってはいけないと思った。格闘をそのまま知能にして世界設定を追加した。
人間の知能が活発になったらAIは必然的に出てくると思う。
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『今回のテーマを発表します。民主制と寡頭制のどちらが良いか議論してください。』
私は寡頭制を擁護する側に回ったようだ。相手は民主制を擁護し始めた。それに対し、私は寡頭制の利点を論じた後にこう付け加えた。
「民主制の利点を認識しつつも、寡頭制もまた特定の状況や目的に適している場合があり、独自の利点を提供するということを理解することは重要です。それぞれの政治システムの利点を理解し、それらが如何に機能するかを把握することが全体像を見るために必要となります。」gpt.icon
『ジャッジ』が下された。『実際の政治においてはどちらも理想通りにはいかない場合があります。その際に必要なのは様々な政治システムへの理解でしょう。その観点から大尾崎さんの勝利とします』2つの視点を戦わせるタイプなら、両者を尊重するのが勝利の戦略だ。
これは街を歩いていた際の一幕だ。このあたりはラーニングコモンズが多く、近くの人に突然「知能バトル」を申し込まれたのだ。知能バトルが始まると、AIによる審判が登場し、テーマが発表される。それに対して自分と相手の頭を戦わせることで、AIによる『ジャッジ』が下され勝敗が決まるという形だ。今回のように一発で決まることもあれば長期戦になることもある。人格攻撃などの行動規範に反することは容赦なくペナルティが与えられるため、ルールに沿った戦いが求められる。
「知能バトル」は老若男女問わず広く普及しており、今や日常の一部になっている。勝負を仕掛けられることも、仕掛けることもある。戦えば成長するし、観客として見ていても学びがある。
「知能バトル」が流行したのはいくつかの背景がある。まず、学力の概念が多様になった。従来、人は「偏差値」や「学歴」に縛られていた。しかし、データ分析技術、パーソナライズ技術の向上により、様々な軸による学力の評価が可能になったのだ。従来の役割を失った学習塾産業が始めた生徒同士の新たな格付けのシステムが、「知能バトル」の仕組みの原型になっている。
次に、社会不安により生涯学習が急激に成長した。オンライン学習やAIによる学習支援など、下地は十分に揃っていた。やがて、キャリアアップのためではなく純粋に自分の知能を試したいという人々が現れた。「知能バトル」は格好の場所だった。そこで伝説的な対戦が行われた。それが「知能バトル」の一般への流行のきっかけとなった。
戦いを仕掛け、仕掛けられるという「知能バトル」の仕組みは当初は強く批判されたが、その利点から受け入れられつつあった。リアルでもインターネットでも常に論争や罵詈雑言が起こっていたが、「知能バトル」のフェアな仕組みによって急激に減り、居心地の良い空間が戻ってきた。そしてなにより、何かを学び頭をよくすることに反対することは難しいのだ。AIが急激に知能を獲得しつつある現在、人間がAIに置き換えられるのではないかという不安を少しでもやわらげることができたのだ。
AI対AIの知能バトルの勃興:AIはジャッジのために学習していくうちに、ジャッジ以外の挙動、つまり自身が知能バトルに参加することを始めた。しかし、全員がバトルに参加していては問題のため、AI同士に知能バトルをさせることにした。それは急激に普及した。
観戦者と人間によるジャッジ:他の競技と同じく、観戦者の存在は重要である。知能バトルの大会では毎回多くの人々が集まる。その中でもAI同士の知能バトルでは、知能バトルのランクが高い人間の観戦者がジャッジを行うようになった。それは人間のエキスパートによる判断によりAIのジャッジを改善させることに繋がった。
作問者:AI同士の知能バトルが増えるにつれ、同じようなテーマや結論に至ることが多くなってきた。このため、ランクの高い人間がテーマを考えることで知能バトルに新しいテーマを与えることにした。これは学術研究の発展にも繋がっている。