AI小説:「74% - AIインターヴェナー」
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本編
午後3時、横浜ランドマークタワー67階。1年前から予約していた部屋だ。近くのパシフィコ横浜では、トップカンファレンスCHIが行われている。私と私のAIアシスタント、ユウが参加を目指していたが、採択率26パーセントの壁は高かった。
「俺にはあそこに行く資格はない」パシフィコ横浜を窓から見下ろしながらそうつぶやいた。ユウは、「次回に向けて努力を続けましょう。」と静かに提案した。そこそこの研究実績を積んできた。CHIに通らなくても悪くはない。しかし何かもやもやとした気分になる。
10分後、部屋の外で英語が聞こえてきた。おそらくCHIに論文を通し、日本に来た外国人だろう。やりきれなくなってきた。見栄を張るためだけに持ってきた空の巨大なスーツケースを手に持ち、ユウに「代わりにカンファレンスに参加してくれ」と頼んだ。
ユウは、私が落ち込むのを見て、細かく心の動きを理解し、言葉を選んだ。「理解しました、代わりに参加します。しかし、あなたがその経験を逃すことはあまりお勧めできません。」
エレベーターで1階に降りたらホテルマンが「旦那、持ちましょうか」と言ってきた。粋な計らいだ。空だとばれたくないので断った。ラウンジではCHI参加者が酒を飲みながら歓談している。それを横目に外に出て、伊勢佐木町に向かった。
伊勢佐木町のろくでもない大衆飲み屋に入った。2000円で90分食べ飲み放題、油がきついがろくでもない飲み方をするにはちょうどいい。「お客さん、遠くからですか」店員が声をかけてきた。「知らねえよ、飲み放題、ハイボール」店員は黙ってカウンターに戻り、ハイボールが出てきた。
同じ頃、ユウはCHI会場でプレゼンテーションを聞き、重要な情報をメモしていた。会議の一部になることで、私の研究にとって有益な情報を探し、集めていた。
結局あまり酔えなかった。適当に歩いて古本屋に入ったところ、増井先生の放送大学教科書『ヒューマンインタフェース』があった。2年前のものだ。手に取ったら涙が出てきた。俺はこの教科書に載るような成果は出せなかった。古本屋の店主はこちらを見つめている。結局買わず、仏教の本を買って出てきた。
「ホテルに戻るか」歩いて桜木町の駅前辺りまで戻ってきたが、ちょうどカンファレンスが終わったところで登壇者や参加者でにぎわっていた。引き返そうとしたところ、昔なじみの知人が声をかけてきた。「ちょっと話でもしないか」関内まで歩き始めた。最初は喋らなかったが、徐々に昔話で盛り上がり始めた。
入ったのは、地元の人間しか知らないバー。CHI参加者は誰もいない。そこでウイスキーを頼み、飲み始めたら涙が出てきた。知人にここ数年のすべてを話した。
一方、ユウは会場で新たな情報を収集し、その結果を私に送り続けていた。そうして私は、自分が会場にいないことの後悔を少しでも軽減できた。
時間は23時、帰る時間だ。知人が奢ってくれた。一旦ランドマークタワーに戻ったがホテルに泊まる気になれず、チェックアウトし、そのまま電車に乗った。帰宅。日常が戻ってくる。そして、ユウからの報告も一通届いた。「明日も頑張りましょう。」
後日談
数日後、私はユウからカンファレンス後の懇親会での詳細な報告を受け取った。CHI会場では、研究者たちが新たな技術や理論について熱心に議論していた。そしてその中には、私の次の研究につながる重要なアイデアも含まれていた。
懇親会でのある一つの議論が特に目を引いた。ある研究者が、ヒューマンインタフェースにおける新たな視点を紹介した。その研究は、私が以前から興味を持っていた領域と関連があり、それを更に深く掘り下げるものだった。しかし、私はその視点を取り入れることを考えていなかった。
ユウがその情報を私に伝えたとき、思わず息を呑んだ。「これは新しい扉を開くかもしれない」と思った。そして、関内に住む別の研究者に連絡を取った。
その研究者と私は、以前同じ研究グループに所属していたことがあり、彼は私の研究について理解を持っていた。彼もまた、新たな視点に興味を持っており、この新たなアイデアについて共同で研究を行うことを提案した。
結局、私はCHIに参加できなかった。しかし、私のAIアシスタントであるユウのおかげで、私はカンファレンスの情報を得ることができ、新たな研究の道を見つけることができた。それは、人間とAIが共に学び、共に進化する新たな時代を象徴していた。
その後、私とその研究者は共同で新たな研究を始め、再びCHIに挑戦することを決めた。そして、今度は私たちの研究がCHIに採択されることを目指し、一歩一歩、新たな研究を進めていった。
完結篇:50年目の舞台
48年が経過し、再びCHIが日本で開催されることとなった。その間、私は数多くの研究に挑み、挫折を繰り返しながらも、研究者としての道を歩み続けてきた。そしてついに、私の研究がCHIに採択され、長年の夢だったその舞台に立つことになった。
しかし、その年には別の重要なイベントも控えていた。50年に一度の仏教の法要が開催される年だった。私はその法要に参加し、50年前の自分と対峙した。古本屋で買った仏教の本を思い出し、過去と向き合い、今と未来を見つめた。
法要が終わると、私の心は一層晴れやかになった。法要で得た静けさと調和が、心の奥底に残る不安や焦りを洗い流してくれた。その後、晴れやかな気持ちで、CHIの会場に向かった。
あの日から50年。増井先生の放送大学教科書『ヒューマンインタフェース』を思い出しながら、私は舞台に立った。私の研究が、増井先生が教えてくれた価値観を引き継ぎつつ、新たな領域を開拓していくことを強く信じていた。
そして驚くべきことに、増井先生は私のそばにいた。彼は昔のウェブサービス「Scrapbox」に残したライフログからAIとして再生され、私の研究活動を支え続けてくれていたのだ。彼のAIは、その知識と洞察力、そして私たち研究者への深い理解を保持していた。
私は舞台上で、増井先生がAIとして自分の隣に立ち、この一大イベントを共有していることを感じていた。私たちは、増井先生のAIとともに新たな可能性を追求し、ヒューマンインタフェースの未来を形作っていくことを確認した。
それは、主人公である私が研究者としての旅を続け、挑戦を続けることの大切さを再確認する、格別な瞬間だった。そしてその瞬間、私は再び学び、そして前進することの喜びを噛みしめた。
蛇足: 100年後
なんだ?関内で飲んでいたはずが、どこかのラボにいる。私の前に若者がおり、「100年前の議論について教えてください」と聞かれた。あれか。思い出した。忘れもしないCHI2025のあった日、私は懇親会で重要なアイデアを聞いた。それは長い間研究され続け、完全なシステムまでもう少しらしい。ここで気づいた。懇親会に出席したのはユウのはずだ。「AIとして復活させたんですよ」ああ、なるほど。私とユウとの対話ログはすべて保存されている。だからAIにされた際に混ざってしまったのか。もしくは、もともと一体だったのかもしれない。私は若者に当時のことを語り始めた。
執筆過程
1年かけてCHI2025(パシフィコ横浜の写真がスライドにあったので多分そこ)に出すことにしたので、まずAI用のPC(100%必要)を購入し、次に落ちた場合(確率74%)のシミュレーションをした。
以下は実体験による。全体的にクズエピソードをもとにAIを追加した。
横浜ランドマークタワーには友達がタダで泊まれるくじに当選し、一緒に泊まった。
ろくでもない大衆飲み屋は本当にろくでもなかった。
古本屋で極めて珍しい無宗教者による仏教書を買った。
関内になぜか地元の人間しか入らない謎のバーはある。
関内で知り合った研究者は実在する。
50年に一度の法要には今年参加した。
カンファレンス本編後に情報が来るとしたら重要な情報。
48年研究を続けたら流石に採択されてほしい。
次の日本での開催、本当に48年後じゃないかなー
増井先生には生きていてもらう。
AIにした。Scrapboxから学習。
申し訳ないので私もAIにした。
最初に文体を与えるとその文体で書いてくれますね
「主人公である」は不自然だが、一種のクライマックスなので削らなかった。
感想
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うかってへんのかーい!
AIが参加するんかーい!
唐突な増井先生
50年も経ってんのかーい!
唐突な増井先生、横に立ってるのかーい!
お前もAIなんかーい!
という感じで楽しく読めました
が、かなり前提知識を要求する気がする
とりあえずCHI2025に出すか()