Review
水郡線 奥久慈アートフィールド2022 レビュー
Written by 坂口千秋 | 2023.2.11
2023年お正月も終わりの1月7日、水戸駅9時23分発郡山行きのJR水郡線に乗り「水郡線 奥久慈アートフィールド」を訪れた。JR水郡線と茨城県北部の大子町が連動して開催する水郡線 奥久慈アートフィールドは、アーティストが大子町で滞在制作を行い、水郡線の駅や大子町のまちなかに作品を展示するというもので、今回は公募で選ばれた3人のアーティストが水郡線の駅を中心に作品を展開している。
水郡線は、水戸から郡山までの約140kmを3時間あまりかけて走るローカル線。その特徴はなんといっても車窓の風景だ。水戸の郊外を抜けると山間に乾いた田畑が広がり、冬枯れの山にカラスウリの実がポツポツと見える。短いトンネルをいくつか通り過ぎ、下小川駅の手前あたりで路線がぐっと久慈川に近づくと、「奥久慈清流ライン」の愛称どおり、久慈川の渓谷が右に左に伴走する。有名な袋田の滝に近い袋田駅から少し険しい山中を通り抜けるとひらけた盆地の町が現れ、ほどなく水郡線のほぼ中間地点、常陸大子駅に到着。ほとんどの乗客はここで降りるが、スタッフの横山さんが組んでくれた予定では、もう一つ先の下野宮駅まで行って10時55分からの私道かぴさんの《駅のこえ》を鑑賞し、11時12分の下り列車で常陸大子へ戻ることになっている。常陸大子で後方車両を切り離し一両編成のワンマン運転となった水郡線は、10時51分、無人駅の下野宮に到着した。
劇作家の私道かぴさんは、大子町に住む人々にまちの歴史や自然について話を聞き、それを元に35編のシナリオを書いて5つの駅の待合室に設置した。「居合わせた誰かの声がたまたま聞こえてきた」ように、始発から終電までの決まった時間に声が流れるという。閑とした小さな待合室に女性の声でゆっくり語りが始まった。下野宮に親戚がいてよく来ていたという人の思い出話。「水郡線の窓に長い草がパシパシとあたる音」や「黄金色の田んぼ」という形容が、さっき通ってきた風景を思い出させる。誰もいない明るい待合室に、不在の人の気配が濃く感じられた。
「列車が来るにはずいぶんあるでしょう。久しぶりに近津神社に行ってもいいね。よし、時間もあるし、ゆっくり行ってみようかね」という声につられて近津神社へ行ってみた。大きな杉の木に囲まれた古い神社にはまだ新年の飾りが残っていて、地域の人たちの祭りの写真も飾られていた。下り列車の到着まであと5分。早足で来た道を戻ると、下野宮の駅舎は地域の集会所になっていることに気づく。集会所や交流センターになっている駅は沿線にいくつかあるらしい。
列車を待つホームには藤村憲之さんの作品《呼吸する水郡線》の小さな電球をつけた駅名看板があった。人のつながりのよりどころをテーマにさまざまなメディアを使って表現する藤村さんは、今回大子町の人々の呼吸を採録し、それをLEDの光に変えて、水郡線の複数の駅のホームや駅舎、待合室に設置した。暗くなると誰かの呼吸のリズムに合わせてLEDの灯りがゆっくり明滅するというが、まだ明るいので見られない。わずか20分の下野宮滞在を終えて、11時12分の上り電車で常陸大子まで戻った。
午後、地元の方が案内してくれることになり、待ち合わせの時間まで大子町をぶらつく。久慈川の方へ向かうと迂回路の案内看板がたっていた。このまちで災害といえば、2019年の台風19号による久慈川の氾濫を指す。地域一帯に大きな被害が出てJR水郡線も不通となり、2021年にようやく全線復旧を果たした。まちを流れる久慈川は、今大きな河川整備の最中で、中洲には無数の土嚢と重機が置いてあった。
14時。待ち合わせ場所の大子フロントは、レトロな外観に木の大きなテーブルのある開放的なシェアオフィス&まちのコミュニティスペース。案内をしてくれる齋藤真理子さんは、大子生まれ大子育ちで、NPO「まちの研究室」で地域活性化のコミュニティプロジェクトをいくつも担い、奥久慈アートフィールドの運営も手がけている。新年早々&連休前という忙しい合間をぬって袋田駅まで車で案内してくれた。
袋田駅はログハウス調の駅舎で、3人の作家の作品がまとまっている。まずホーム沿いの2基のわらぼっちを見に行った。わらぼっちは、稲を刈った田んぼで稲わらの保存方法としてこの地域に受け継がれる造形で、秋から冬の風物詩。しかし、最近は農業の機械化が進み、わらぼっちがつくられる数も年々減り、町をあげての保存活動も行われている。藤村さんは、地元の農家さんの協力を得て、2基のわらぼっちをつくってもらい、そこにLEDを仕込んだ。暗闇に明滅するわらぼっちは、本当に大きな生き物がゆっくり呼吸しているようだと齋藤さん。運がよければ帰りの列車から見られるかもしれない。
袋田駅の待合室のモニターで上映されていた千葉麻十佳さんの《地球を見つける》は、大子町でみつけた石を太陽の光で溶かすというプロジェクトの映像ドキュメント。緑の木々を背景に大きなレンズを掲げて日光を集める彼女の姿と、ジリジリ焼かれる石のようすが映し出されていた。この映像のほかに、石が溶けて青白い光を放つ写真作品と、石のある場所のヒントを書いた紙が各駅に設置されていた。紙の裏は写真で4つの駅を回って集めると1つのイメージになり、地元の人ならそれを見てどこだかわかるらしい。
14時29分から袋田駅に流れる私道さんの《駅のこえ》を終わりまで聞いてから、最後に千葉さんの石のある場所へ向かった。道路沿いの空き地に車を停めて降り、ここが映像に映っていた場所と聞いてちょっと驚く。映像の中の深い緑の森は葉が落ちて丸裸の殺風景な雑木林となっており、その手前にあっけらかんと大きな黄土色の石が置かれていた。裏側に回ると、ざらざらした石の表面に手のひら程の黒く焦げた跡があった。夏、地球を溶かすほどの太陽エネルギーを人の手で集めて焼いた痕跡だ。何の変哲もない風景の中に、ひとつ秘密を発見したような気がした。
移動中、齋藤さんに大子町のことをいろいろと聞いた。このあたりではりんごは買うものじゃなくてもらうもの。温泉郷と渓谷が広がる山の方と田んぼが広がる西の方、地域によって風土が全然異なること。高齢化が進んでいること。りんご生産の最南端、茶畑の最北端、さまざまな境界にあり植生が豊かなこと。氷瀑で知られる袋田の滝も、最近は温暖化の影響で完全に凍らなくなってきていること。そして普段は行くことのないとなりの駅を訪れることは、ちょっと楽しかったとも齋藤さんは言っていた。となり駅までの小さな旅には、どこかワクワクする響きがあった。
齋藤さんと常陸大子の駅前で別れてから、列車の中から藤村さんの作品を見るために、1本列車を遅らせて16時42発の水戸行きに乗った。「わらぼっちを見るには一番うしろの車両に乗るといいですよ。でないとあっという間に通り過ぎちゃうので」という齋藤さんのアドバイス通り、一番うしろの車両の窓に貼り付いていたがあっさり見失った。それでも次の上小川駅では、ホームを列車が加速しながら出ていく時、紫色に発光する木造の小さな待合室が目の前を一瞬通過していったのがわかった。
あたりは民家に明かりが灯り、車がヘッドライトを付け始める頃。水郡線の車窓はほどなく闇に沈み、久慈川の清流ももう見えない。今頃、駅舎やわらぼっちは穏やかに明滅しているだろうか。そのリズムがこの地域に暮らす誰かの呼吸だと想像するとき、夜の闇が少しやさしいものに変わる気がした。
石、わらぼっち、音、光、どれも日常に少し手を加えたもので、作品らしいかたちをしたものは何も見なかったけれど、不思議な気配がそこにはあった。時刻表の谷間、無人の駅といった不在の時間に立ち現れる、みえないけれど確かにあるもの。駅と鉄道という暮らしの一部に差し込まれたアートプロジェクトは、目に映る奥久慈の風景を豊かにして、土地に宿る民話をひとつ聞き終えたような、あたたかい余韻を長く残した。
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坂口千秋 Sakaguchi Chiaki
アートライター、編集者、アートコーディネーター。芸術祭や美術館での展覧会、レジデンス企画など、現代美術のさまざまな現場にプロジェクトベースで携わる。WebマガジンArt Scapeにて「スタッフエントランスから入るミュージアム」を時々連載中。カルチャーレビューサイトRealTokyo編集スタッフ。独立マガジンVOIDChicken共同発行人。乗り鉄。