ジョセフ・ヒース「『平等と公平の違い』というミームイラストを哲学者が嫌う理由」
https://econ101.jp/why-philosophers-hate-that-equity-meme/
https://scrapbox.io/files/684066a036696656792486fe.webp
「機会の平等」と「結果の平等」の区別を示すことを意図して描かれたものだ。これは、1960年代後半まで(つまり1971年にジョン・ロールズの『正義論』が刊行されるまで)人々が平等の問題についてどう考えていたかをよく捉えている。その後ほとんど誰もが、機会/結果の区別は有益でもないし一貫してもいない、と認めるようになった。真に重要な問いは、どんな場合(when)に平等化すべきかではなく、何(what)を平等化しようとするか、である
第1に、このミームは「公平性」という語を濫用しており、第2に、このミームが表現しようとしている「結果の平等」の考え方は時代遅れである。
最も明白な論点から取り上げよう。このイラストは、アファーマティブ・アクションの捉え方としては大変まずい。実際あまりにまずいので、案の定「レイシズム的」だという糾弾を受けている。
第1の問題
このイラストで示されている分配の問題がゼロサムであること
問題の多くはこのような構造をとっていない
現実の問題の多くは、(ロールズの言う)協力の便益と負担の分配という構造をとっている(協力は定義上、インタラクションをプラスサムにする)。これは強調しておくべき論点だ。多くの人はプラスサムのインタラクションをゼロサムだと誤解して、不必要に極端な道徳的立場をとってしまうからである。
第2の問題
箱はどこから来るのかという問題
箱はただそこにあって、不偏的な配分者がそれを分配するのを待っている
これがテールゲート・パーティで、全員が自分の箱を持ち寄るものとされていたらどうだろう? この場合、背の高い男性が背の低い子どもに箱を譲るのは素敵なことだろうが、男性から箱を強制的に取り上げて子どもに与えれば、たくさんの異議を招くことになるだろう。
これは経済的問題について考える際には非常に重要な論点だ。社会的な制度構造は、人々に富への請求権を与えることで社会的な富を生み出している部分があり、この事実が実現可能な再分配のあり方に制約を課すからである。
第3の問題
分配問題が1次元的である
財は1つだけ(箱)なので、問題は箱をいかに分配すべきかでしかない
ロールズ-ドウォーキンの強力な批判を受けて、平等主義者たちは、様々な種類の財の組み合わせに関心を持つべきだと考えるようになった。これはそれ自体、問題を生み出す。とりわけ、多元的な社会では、人々が様々な財に与える評価は多様である。そうなると、何をもって平等の実現と言えるのかという問題に答えるのが(不可能とは言わずとも)非常に難しくなってくる
実はこの最後の論点によって、哲学者の間では平等主義の「分配」パラダイム全体に対するかなり悲観主義が生じた
社会が生み出す財の数はあまりに多い(例えば、所得や富だけでなく、健康や余暇もある)。分配問題を単純化するために、これらの財全てをまとめて単一の被平等化項にしようとすれば、極度に抽象的で計測が困難なものになってしまう(コーエンなら「利益へのアクセス(access to advantage)」、アマルティア・センなら、「達成可能な機能の集合」によって定義される「ケイパビリティ」、などなど)。これに対する代替案は、様々な財をまとめずにそのまま平等化することだが、この場合も多様性や多元性を扱う際にたくさんの問題が生じる。