英国王室と日本の刺青
明治時代、日本独自の芸術として発展した刺青は、意外にも英国王室をはじめとする欧米の上流階級と深い関わりを持っていました。
藤原書店が提供する小山騰氏による解説記事『日本の刺青と英国王室』の内容に基づき、その関係性を要約して解説します。
1. 英国王室での流行
1870年代、当時の英国皇太子(後のエドワード7世)が刺青を彫ったことをきっかけに、王室関係者や上流階級の間で刺青を入れることが一種のファッションとして大流行しました。この流行は、英国王室の複雑な姻戚関係を通じて、他の欧州諸国の王室やアメリカの上流階級にも広がりました。
2. 日本を訪れた英国王子の刺青
明治時代には、来日した英国王室の王子たちが刺青を入れることが伝統のようになっていました。
明治14年(1881年): アルバート・ヴィクター王子とジョージ王子(後のジョージ5世)が来日し、刺青を彫ることを熱望しました。当時、日本政府は刺青を「文明開化に反する野蛮な習慣」として禁制にしていましたが、大国・英国からの要請を断りきれず、これを受け入れました。
大正11年(1922年): 英国皇太子エドワード(後のエドワード8世)が来日した際にも同様の要請がありましたが、この時には日本はすでに国際的な地位を高めていたため、刺青の禁制を理由にこれを拒絶しました。
3. 歴史のアイロニー(皮肉)
この関係性には、歴史の皮肉とも言える側面がありました。
政府の禁制 vs 外国人の熱望: 明治政府が国内で「野蛮なもの」として刺青を厳しく禁止していた一方で、文明の模範として仰いでいた欧米の王侯貴族や旅行者たちは、日本の刺青を高く評価し、熱心に彫りたがりました。
無名の職人、世界的な名声: 日本で「刺青師のエンペラー」として世界的に有名になった職人「彫千代」は、海外では伝説的な存在でしたが、日本ではほぼ無名のまま数奇な最期を遂げました。また、日本の刺青技術やデザインは、明治期に欧米の刺青師たちにも大きな技術的影響を与えました。
庶民の間で芸術として昇華された日本の刺青は、明治時代というグローバリゼーションの黎明期において、外交や文化交流の意外な接点となっていたのです。
『機』2010年12月号:日本の刺青と英国王室 小山 騰 | 藤原書店オフィシャルサイト - Geminiによる要約
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