賞賛すべきほどに(と言ってよいか疑わしいが)「寛容」の範囲が広がった一方、我々は、自由のない世界で慰めを見出すことをあまりにも頻繁に強いられ、自然の祝福を受けたことを口実にするかのごとく、このように「生まれた」ことの権利を主張している。